一時間ばかり話をした。
 京城の料理はおいしい。材料も清新であるし、調理のしかたもまことに結構だが、我々東京の者には塩味が少し足りない。これは関西式の料理であるからであろうと思う。
 京城には、なかなか美人がいる。内地婦人は眼につかないけれど、朝鮮婦人はよく眼につく。赤、紫、白、紫紺、黒など思い思いの上着をきて町をぞろぞろ歩いている。ほんとうに朝鮮婦人は外出好きらしい。何れも、涼しい眼を持っている。衣類の格好によるのであろうが、背が高く足が長く見えるところは体格美を感ずる。そして、頭の毛はパーマネントをかけて、もじゃもじゃさせているのが、ほとんどいない。

     五

 中枢院参議金尚会氏という京城では有名な釣り人に案内されて、四月一日から開通された京慶線に乗って漢江の上流へ、探勝に行った。
 その傍ら釣りもやろうというのであったが、まだ季節は早いと見えて漢江の鮒には一匹もお目にかかることが出来なかったのは甚だ残念であった。けれど、八堂という駅の前を流れる漢江は内地では見られぬ大河の相を持っている。広さは、隅田川の二倍ほどもあろうか、蒼《あお》い水を満々とたたえ静かに西北に向かって流れている。深さは三丈から四丈はあるという。その上を、帆をかけた舟が悠々と流れるように東北へいくつもいくつも動いて行くのだ。舟には、鮮人の舟夫が例の美音で款乃《かんだい》を唄っている。
 山の松もいい。岩山には土が浅いと見えて松の育ちは悪いのであるが、育ちが悪いだけに松の枝振りは風流である。浅間火山の六里ヶ原に生えている松に似ている。徳沼という駅の前の河原は、一里もあろうと思うほど広い。白い衣物を着けた鮮人が舟に乗って小さい鮠《はや》を釣っていた。
 朝鮮の棋界は、甚だ盛んである。大阪、名古屋などの次に、京城の棋界は位するものであろうと思う。それに、素人《しろうと》棋士がよく書物を読んでほんとうの棋道に精通しているらしく見えるのは感服に堪えない。朝鮮将棋大会で優勝した人など、まだ三十歳を出たばかりであるが、この人など素人とはいえ熱心に定跡《じょうせき》を学んでいる風がある。この分で行くと、京城の棋界はこれから目覚ましい発達を示すのではないかと考える。
 昌徳宮へ案内された。ここは、昔から朝鮮王が住んでいたところである。宮廷の広さ約十五万坪、なかでも秘園といって特に紹介の人以外に入れない
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