とである。だから、朝鮮人の駕籠かきや茶亭の老爺に様子をたずねてみたのであるけれど、魚類というものは、何もいないという返事であった。
これで、用意していった竿も、餌も何の役にも立たなくなった。温井里付近の下流には、アブラ鮠《はや》に似た小さい魚ならばいるとの話であったが、アブラ鮠は釣ってみる気になれなかったのである。そして、渓のみぎわに転積している小さい玉石をころがしてその裏を見た。けれど、渓流魚の餌となる川虫の姿が一つも見られなかったのである。なるほど、これでは魚はこの川に棲めないと思った。
夕方、長箭や温井里や元山津の愛棋家が三、四十人集まって、我々の歓迎会を開いてくれた。
夜汽車に乗って京城へ帰った。途中、安辺というところが日本海の沿岸を走る線と、京津線との乗換場所である。夜半、駅のホームに立って冴えた空を眺めると、頭上高く北斗七星がきらめいていた。北極星は、東京付近で見るのよりも地平高きところにある。
京城へ帰って一日休養し、十六日は朝から碧蹄館の古戦場を訪れた。山と山との間に水田が開けて、畔にポプラの樹がそびえ、山裾に落葉松が金魚藻のような若葉をつけていた。そこが、三百四十年前の古戦場であった。小早川隆景の僅かな軍勢が、明の四、五万の大軍を殲滅した所である。いま見るこの水田が、戦争で血に溢れたそうだ。日本刀で随分斬りまくったものと見える。太閤の朝鮮役は前後七年かかった。このたびの支那事変はまだ僅かに三年。思いくらべて感慨無量であった。
十六日夜半、東京へ向けて京城をたった。翌朝釜山で鯛釣りを試みるつもりだったが、海が荒れて、この志も達せられなかったのである。[#地付き](一四・四・一七)
底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
1953(昭和28)年10月発行
※<>で示された編集部注は除きました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全10ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング