も知れない。
 だが、いま東京では男山などという灘の酒は見当たらない。それは、とにかくとして長い船路を幾日かけて江戸へきて、さらに上方へ持ち返された酒であるから、充分に揉《も》みに揉まれ、酒の醇和されていたことだろう。そんなことを思いながら、手酌でちびりちびりやっていると、帆に風を孕《はら》んだ船が酒樽を積んで波の上を上って行くさまが、ひとりでに眼に浮かぶ。
 濁酒と言えば、日本派の全盛であった頃、
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新酒店財布鳴らして入りにけり
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 というような俳句があったと記憶しているが、このごろでは世の中があまり文化的になってしまって、この句の趣を味わえる風景に接しないのである。
 このほど私は、故郷の上州の榛名山の麓の村へ行ったところ、私の子供のときの収穫時の風景とは、まるで変わっていた。石油発動機が庭の真ん中で凄い響きを立てて唸り、稲扱《いねこぎ》万牙も唐箕《とうみ》も摺臼《すりうす》も眼がまわるような早さで回転していた。
 浅間山の方から吹いてくる霜月の寒い風が、庭のほこりを小さくつむじに巻いているなかに、祖母や母が手拭を姐さんかぶりにかぶって
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