は、要するに餌をくわえた魚に対して、巧みに鈎合わせをきかせるか、きかせないかの僅かの呼吸にあるのである。この呼吸は口では説明ができない。自ら、会得するよりいたし方がないと思う。
シャクリ釣りは、軽い錘を使う。一匁から、三匁くらいまでであって、五匁くらいを使う場合はまれだ。そして、瀬の流れの緩急にもよるが、十尋の深さのところでは道糸の長さが十三尋、十五尋のところで十八尋、二十尋のところで二十三尋といった工合になるのを普通とする。瀬が急であれば、五尋くらい馬鹿糸を出す場合もある。軽い錘をつけ、細くして長い道糸を使うほど成績があがるもので、それだけに魚の当たりが微妙になるのである。その細かいことは、各項について述べることにしたい。
次に舟に乗り込む人数のことであるが、東京湾内のように割合が小さい舟であっては客一人、船頭一人、助手一人といった数にしたいのである。釣友と一緒であって止むを得ない場合は客が二人までは結構であるけれど、三人乗り込むというと、ときどき互いの糸が絡み合って、能率を妨げるばかりでなく、不快な思いをすることさえある。しかし外洋の大きな釣り船は別段である。
以上述べたように、鯛の釣り方と道具の形とは不可分のものであって、釣り方を大体五種に分けることができる。テンヤ釣り、フカセ釣り、枝鈎釣り、擬餌釣り、延え縄などであるが、これは地方によりまた季節によりいろいろ使いわけている。であるから、各地の鯛釣り場へ旅行してみると、そこには独特の釣法と餌があって、深い興味を惹くものだ。
春の鯛は、数多く釣れるので面白い。しかし、秋から冬にかけての鯛釣りも趣がある。殊に寒の鯛は、相当鯛釣りを修業したものが志すもので、多くは職業人の独擅場となっているのである。
元来鯛釣りは、一般の釣りのうちでも高級に属する方であって、いろいろの条件が複雑にできているから、沙魚《はぜ》やセイゴを釣るといったふうに、簡単にはいかない。さらに寒鯛となると、主として大鯛を狙うのである。六、七十尋から百二、三十尋の深い海底へ、糸を垂れるのであるから、よほど辛抱が必要である。
季節は、寒中の海であるため、随分特志家でないと、寒鯛釣りを志す人は少ない。
だが、釣った鯛は緋牡丹色の鱗に、金色|燦然《さんぜん》たる艶が光っている大ものだ。釣趣に魅力が伴って、一度この釣りを味わったら一生忘れることができない。しかも、寒中の鯛は四季のうち至味の節といわれている。寒中は、海も川も釣りものの種類が少ないときだ。鯛釣りに志すほどの人は、一度この釣りを試してみるのも面白いと思う。
全国至るところ春、夏、秋にかけてその鯛釣り場は随分多いけれど、寒鯛釣り場は数が少ない。関東では東京湾口の鴨居、房総半島の船形、外房州勝浦沖、相模国真鶴港外の三ツ石付近、伊豆半島下田町沖合神子元島、横根島、石取島の地先、常陸国久慈と大津沖など。関西では土佐沖、鳴門海峡、紀淡海峡など七、八ヵ所を数えるに過ぎない。
そして、この釣りは出漁すれば必ず釣れるというわけではなく、また季節の関係で海は荒れがちであるから、専門漁師でもこれに熱中する者は甚だ少ないのである。
こんなわけであるから、もし出漁を希望するとすれば、志した土地の漁師と密接な連絡を取って置き、よく条件の備わったときに出かけるのがよろしかろう。
底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
1951(昭和26)年8月発行
初出:「釣趣戯書」三省堂
1942(昭和17)年発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年7月2日作成
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