鯛釣り素人咄
佐藤垢石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)真鯛《まだい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二、三十|尋《ひろ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)生殖腺が[#「生殖腺が」は底本では「生殖線が」]
[#…]:返り点
(例)『従[#二]讃豫[#一]過[#二]鳴門[#一]而東者額上作[#レ]瘤是日[#二]峡鯛[#一]』
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職業漁師でも遊釣人でも、鯛といえば、真鯛《まだい》を指すのが常識である。真鯛に色、形ともによく似ているのに血《ち》鯛と黄鯛とがある。これは、真鯛に比べると気品も味も劣り、釣りの興趣も真鯛ほどではない。
真鯛の当歳子、つまり出来鯛の四、五十匁くらいまでのものをベン鯛と呼び、六、七十匁から二百匁くらいの二歳、三歳のをカスゴ鯛と称しているが、三百匁から四、五百匁のものを中鯛、五、六百匁から二貫五百匁くらいのものを大鯛と言っている。鯛は、二貫五百匁より大きいものは甚だまれであると言っていい。寒鯛釣りには、この五、六百匁から、二貫目前後の大物が掛かって、強引に引っ張るのだ。
この魚の分布は、随分広い。亜米利加《あめりか》の近海にも英国のまわりにもいるという話である。太平洋は日本沿岸至る所に棲んでいて、南は台湾近海、琉球、九州、四国、紀州から東北、雄鹿半島から北海道まで棲んでいる。日本海は北海道から山陰道に至るところどこの海にもまた沿海州から朝鮮の東海岸でも漁獲がある。支那海にも広く棲んでいて、朝鮮西海岸、釜山沖、九州の玄海灘、中支から南支、海南島から佛領印度支那方面にまで分布していて、支那海一帯はトロール船の活躍場所である。
だが、真鯛の産地といえば、昔から瀬戸内海を随一とされ、近年は東京湾の内外が釣り人から認められるに至った。
春になると、瀬戸内海は鳴門と音戸の瀬戸の東西両方から乗っ込んでくる。これを桜鯛と言っているが、鯛は土佐沖の深い海底に一冬を送り、春が訪れると産卵のために内海さしてのぼり込んでくるのである。
いまも昔も、この桜鯛をいちばんおいしい季節であると関西の人は言っているが、これには異論があるようだ。
桜鯛といって人気があるのは、四、五月頃の産卵の季節に最も数多く漁《と》れるからであってその季節が最も美味というのではないらしい。総じて魚類は、腹に生殖腺が[#「生殖腺が」は底本では「生殖線が」]発達すると脂肪と肉の組織の一部分をその方へ吸収するから、魚体が痩せて味が劣ってくるものである。鯛も同じことであって、産卵前と産卵後の八月頃までが一番味が劣っている。秋風吹き始めた九月頃からそろそろおいしくなり、十一月、十二月、それから寒に入った頃が至味となるのである。
東京湾内へも、四、五月頃になると遠く太平洋の方から乗っ込んでくる。産卵の季節は大体、瀬戸内海と変わりがないようだ。
そこで、我々釣り人が疑問とするところは、外洋から乗っ込んできた鯛と、内海に居付いていた鯛と、味品の区別に関西と関東とが反対である点である。羽倉簡堂の饌書に『従[#二]讃豫[#一]過[#二]鳴門[#一]而東者額上作[#レ]瘤是曰[#二]峡鯛[#一]』と書いてあって、内海地方ではこの鯛を最も上等としている。そしてこの鯛は頭が大きくいかめしく尻の方に至って細くこけ、色は頭の上側から背にかけ、また胸鰭が薄い黒紫色に彩《いろど》られて、いわゆる赤髭金鱗頭骨に節を作るという容をそなえている。つまり、関西地方では、この乗っ込みの鯛を最もおいしいとしているのである。
ところが、東京湾ではこれと反対である。四、五月頃太平洋の沖合から、房州の岬をへて東京湾内へ乗っ込んでくる鯛を、渡り鯛と唱え、二等品として取り扱っている。その理由は、外洋からくる鯛は荒波と闘いつつあったから脂肪が去って肉が薄く、その上肉の組織が粗いために舌ざわりが甚だよろしくない。味が劣っている。かつ、頭が大きいばかりでなく、鱗の色が一体に薄紫に黒ずんでいて冴えた艶がないから、見た眼に気品を感じない。これと反対に、内海の波静かなところの海草の間を巣にして育った鯛は真紅の色鱗の肌を彩り、肌の底から金光が輝き出し、珠玉のような斑点がいかにも美しい。そして、肉のきめが細かで、舌ざわりがまことに淡白であるというのである、これは、外洋と異なって内海は餌が極めて豊富であるため、肉が肥り細かい味を持つのであるというのだ。
瀬戸内海方面では、外から荒波と闘ってきた至味であるとしているのであるが、我々が見た感じでは、内海に育った色鮮やかな鯛の方に魅力を感ずるのである。ところで、簡堂は同じ饌書のうちに、正月以後の鯛はその味幼くして食うべらかず、と言っているが、それは産卵期の春鯛を指したものではあるまいか。
漁師によると、色の黒い頭といい、からだの全体がどことなくいかついのは雄であって必ずしも外洋からきたものではない。四季内海にも数多くいる。また色の冴《さ》えた真紅の丸い鯛も外洋からくる。これは雌だ、と言っている。外洋である伊豆網代沖初島まわりの鯛釣り場でも、四、五月頃の春鯛釣りに居付き鯛と称される冴えた立派な鯛と、色の薄黒い鯛とが釣れるのである。だが、色の冴えた鯛の方がおいしいのは勿論である。
真鯛は普通二、三十|尋《ひろ》から、百二、三十尋の海底に、連続して点在する岩礁に生えている藻草の間に棲んで餌を求めているのであるが、餌の移動に従って三、四十尋くらいの深さの砂底を、棲み場とすることもある。また夏になると、二、三百匁の中鯛は十尋前後の岸に近い浅場へ出てくることもあり、産卵期になると毎年同じコースを大洋から遠く内海の方へ移動をはじめる。
底の岩礁にばかり絡まっているとは限っていない。季節や日並み、また常食としているところの餌の浮沈によって、海の中層からさらに上層まで浮いて出てくることがある。これは伊豆網代の味噌鯛や、伊豆南端神子元島の烏賊腸《いかわた》釣りに見る例であって、鯛の移動は釣りに深い関係があるから、よく注意せねばならない。この詳細は、釣り方の説明のところにおいて語ることにしよう。
広島文理科大学梶山英二理学士の調査によると、鯛は三十年くらい生きているという話である。そして、鰤《ぶり》や鱸《すずき》のようにめきめきと大きく育つものではなく、生まれて四年目で漸く一尺二寸二百匁前後、五年目で一尺三寸余三百匁前後、六年目で一尺五寸余四百匁前後、七年目一尺七寸余六百三十匁、十年目で一尺九寸余八百五十匁、十五年目で二尺三寸余一貫四百匁、二十年目で二尺五寸余一貫八百匁、三十年目で三尺二貫七百余匁であるというから、まことに遅々として育つものであることが分かる。尊い魚だ。
鯛は、随分硬いものを食う。鯛の頬肉のうまさというが、頬肉は口の開閉を司る筋肉であって、一度鯛が口を開いてぐっと噛み締めれば、あの硬い榮螺《さざえ》でも噛み砕いてしまうのである。そのはずである。どの魚にも見ることのできないほどの鋭さ、いや頑丈さを持っている。その頑丈な歯が外側と内側とふた並びになっているのであるから、あの豊富な頬肉の力で強く噛みしめたならば大概の貝類など砕けてしまうであろう。
釣り餌に用いるのは普通赤蝦、車蝦、芝蝦、白蝦、藻蝦、赤蛸、飯蛸、大蛸の足、蝦蛄《しゃこ》、幽霊蝦蛄、活烏賊、イカナゴ、擬餌、芋、味噌団子、烏賊の腸、赤虫、秋の魚のブツ切りなどであるが、鯛は自然に生活しているこのほかに榮螺《さざえ》、宿借《やどかり》、蛤、浅利《あさり》、蟹、牡蠣《かき》、ウニ、ユウ、磯巾着、海藻、人手《ひとで》など、そのほか、なにを食べているか分からない。随分硬い歯、殊に大食の魚であるのだから、我々が想像もつかぬものを食っているに違いない。
餌は、釣りの役割のうち最も重要な位置を占めているのである。鯛は以上あげたような種類のものを食っているのであるから、釣り人各自が研究工夫して新規な眼新しい餌を発見して用いたならば、必ず興味ある会心の釣りがやれることと思う。
鯛釣りを志す人のために、その一般について、簡単ながら心得ともいうべきことを述べてみよう。
四季いずれの時も、鯛を釣るにはその棚《たな》つまり魚の遊泳層を心得ておかねばならない。小鯛は、普通底から半|尋《ぴろ》乃至一尋くらいが棚である。中鯛は、海底から三尋から八尋くらいのところであるが、深くなるほど次第に棚が高くなって、百尋以上になると底から、上方二十尋に及ぶことがある。しかし大鯛は、大体において底に近いところ、四、五尋から十尋以内に遊泳しているのを普通とする。餌の移動によって上下左右広い棚に活動することは、前項に述べた通りだ。冬期は底近くを好み、温かくなると次第に浮いてくるが、夜も棚が高いのである。
大鯛を狙うには、大体テンヤ釣りの仕掛けを用いる。この釣りは普通三十尋前後から以上深い海で行なわれ、深くなるほどタチが分からないで初心者は困難するが、指導者の言葉をよく噛み研究心を積んでいけば次第にタチをとることを心得るものである。タチが自由にとれるようになれば、これほど面白い釣りは他に珍しい。大鯛釣りは錘が海底につくと、まず最初に二尋乃至三尋たぐりあげる。そしてさらに静かに一尋くらい、ついで一尋、二尋と、次第々々に海タチの二割くらいと思うだけ道糸をたぐりあげて鯛の棚を探ってみるのが、賢明の方法である。
鯛の当たりには、随分複雑な変化がある。いきなり、餌をくわえて駆けだすのがあるかと思えば、ゴリゴリと餌を噛んでいる響きが指先へ感じてくる場合もある。しかし、一体に当たりは微妙である。だから、少しでも、道糸あるいは餌の当たりに変化があると感じたならば、二尋か二尋半もたぐりあげて鈎合わせを利かしてみることだ。
道糸は潮の中にあると、垂直に立っているものではない。潮の流れの速さ、方向によってフケがきている。即ち、大きな弧を描いてたるんでいるのである。殊に、上潮と底潮と流れの方向が違うときは、道糸は複雑なフケの状態にあると思わねばならない。だから、一尋くらいたぐったのでは、人の力が魚の口まで及ばないのである。二、三尋くらいは、はげしくたぐらないと鈎合わせが利かないことになるものだ。しかし、流れが一方へ速く流れている時は、魚の当たりも力強く分かり、少したぐっても合わせが利くのである。
中鯛、小鯛を狙うのにシャクリ釣りというのがある。これをフカセ釣りとも言っている。二十尋から十尋くらいまでの比較的浅い海底を探るのであるが、シャクリ釣りは五尺くらいの竿を使って、道糸の先についた餌を海底からシャクっては上げ、上げては海底へ静かに沈めてゆくのである。
魚は大抵、シャクった餌が海底へ静かに沈んでゆくときに、くわえるのであってグイグイと竿に当たりがあってから鈎合わせをしたのでは遅い。
シャックった道糸が再び海底へ沈んでいく途中、まだ海面に出ている部分の糸が僅かに異状を示したとき合わせれば、百発百中である。しかし、この糸のフケを眼に認め得るようになるまでには余程の経験を積まなければならないのであって、初心者に難しい問題である。だから、シャクルことが即ち空《から》合わせになるように、一度シャクルにも努めて心を入れて、味を見ながらシャクらなければうまく合わせの機会に当たらないのだ。
大きくシャクって、竿先が重くなったら、シャクリ竿を舟板の上に置くと同時に、直ぐ左手で道糸をつかまえ、ついで右の手を伸ばし、二尋、三尋たぐるのである。それで、ガッチリと鈎が合う。もし、シャクった時ちょっと竿先が重くなったまま、直ぐ軽くなったら、そのまま餌を沈めてやると、食い損なった鯛は、もんどり打って返ってきて再び食いつく。合わせる。掛かる。と、いう順序になることを忘れまい。
シャクリ釣りは、まことに妙味があるものである。それだけに、奥行が深い。商売人の船頭にはよく釣れて、素人《しろうと》釣りにはさっぱり釣れない。しかし、船頭の餌にも同じ率で魚は窺い寄っているものだ。釣る釣らない
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