どの到来したときの嬉しさ、ありがたさ。
 たまには麦粉、乾麺、白米、大豆など寄贈に接することもある。これで、食いものが足りないの、腹が減って堪らないと口外しては、甚だ相すまない。
 これでどうやら、六月末頃から収穫に入る馬鈴薯の鮮醤に対面するまで、腹を継いでゆける次第であるが、しかし世間の人がすべて、私の家庭のように幸福に暮らしているとは思われないのである。
 工夫塩梅して腹を満たせ、という言葉は、まことによき思いつきである。私のように、脳のうとい者には、着想不可能であった。昔から、無い袖は振れないとか、いかに巧みな手品師でも種がなくてはどうにもならぬ。と、いう諺があるけれど、戦争となってみれば、無い袖も振らねばならないし、種がなくても、生活を続けねばならぬ。不平、不満はもってのほかじゃ。
 果たして然らば、どんな身振り手真似で、無い袖をひらひらさせるかという難問に逢着するのであるが、人民の悉くが母乳を欲するように心から憧憬《あこがれ》ているのは、人間味豊かな為政者の思いやりである。末端官吏の反対である。また指導者と呼ばれる人とか、統制事業に従う半官半商の人達の、思い上がりを棄てて貰う
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