やぼ》ですよ。八百屋の配給だけで健康を保って行けないのは、いつかも議会で農商大臣も認めていましたね」
「君は、甚だ記憶がいいね」
「そこで、政府でも地方の官庁でも、都会民に一坪農園とか二坪農園をやれといいますが、一坪や二坪でなにができますかね。第一、農具もなければ、肥料もない。土地もない」
「君、不平いっちゃいかん、創意と工夫ちうことがあるじゃないか」
「恐れ入りました――あっ、間もなく日没、家内に叱られます。どこかで、この下駄に物をいわせにゃなりません」
この男は、狼狽して村の往還の方へ、出て行ってしまった。
顧みれば、実際において八百屋の配給は少なかった。彼の男が女房の命令で、電休日を待ちかねて、買い出しというのか、交換というのか、物を漁《あさ》りにでかけるのは、無理ないと思う。
昨年の暮れから、今年の一、二月頃へかけての冬枯れには東京の配給もまことに乏しいものであった。家族四人に対し、四、五日目に大根がひと切れ、直径一寸五分ばかり、厚さは一寸の五分の一ほどの大根の輪切り。今から、三、四年昔の二銭銅貨の方が大きかったと記憶するのである。
しかし私は、ないよりよいと思っていた
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