痛にやむのは、愚の骨頂だ。お上は、国家の食糧事情の大所高所から観てよいあんばいにやっているのであろうから、私如き俄百姓が、疝痛《せんつう》を起こすなど、甚だ僣上至極。慎まざるべけんや。
 だが、無用の配給に検討を加えたら、有用の配給が国力に意義をなすのであろうがなあ、と思う。老人、愚痴多き哉。
 以上のような次第で、私は夏がくれば、大いに野菜を食える見込みがついたから、親船に乗った気持ちでいられるのである。それにつけて思うのは、もっと都会の人々に、野菜を食べさせたいことだ。
 だからといって、私の百坪前後の野菜を根こそぎ舁ぎだしたところで、九牛の一毛にも値せぬ。さらに多くの野菜を都会人に食べさせたいと思えば、もっともっと農民全体が、心を揃えて野菜の栽培に勉強することより外に、すべはない。
 ところが、一歩足を農村へ踏み入れてみると、葱でも薯でも菜っ葉でも、青々と茂って畑から盛り上がっている。であるのに、なぜ都会では野菜が不足しているのであろう。
 そのために、いずれの家庭でも主婦が苦心惨憺しているのである。肉類や魚類が、殆ど皆無に近い状態のところへ持ってきて、なお日ごと欠くことのできな
前へ 次へ
全24ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング