は、どこを標準にしてきめたものでしょうね」
「そりゃ、わし共にも分かりゃしねえがの」
「飛んでもねえ、納得なんか爪の垢ほどもいっていねえよ」
「それじゃ、組合の値段が安過ぎるというのかね」
「馬鹿馬鹿しくって、話にならねえ」
「でも皆さんが、精々青物組合へ出すようじゃありませんか」
「えへ、へへえ」、甚だ意味ありげに笑うのだ。
「大きな声じゃ言えねえがね、ほんとうは組合から買いにきても、いい顔はしねえだよ。もう畑は、空っぽだよ、ちうわけなんだ」
「なるほど」
「町の人にや気の毒だがの、やむを得ねえ、ちうわけだんべ」
「そうだね、都会の人には気の毒だね。ところで、それならあれほどあっちこっちの畑に葱や菜っ葉が山ほどあるのに一体どこへ売るということになるのだろう」
「そこを、きいて貰っちゃ困る」
「でも、農家で、食った余りを組合へ出さなければ、野菜は畑で腐ってしまうじゃないか」
「そこは、けっこう腐られねえよ」
「そうかねえ」
 この問答では、大して要領を得ぬ。
 私は十数年前、この上新田で野菜を作っていたことがある。村に青物市場があって、前橋から八百屋が買い出しにきた。ある朝、茄子の食い余りが百個ほどあったので、これを市場へ持って行ったところ、八百屋はこれを三銭五厘で持って行った。
 百個ですぞ。一個三毛五糸にしか当たらない。金の価の高い時であったが、百個の茄子が三銭五厘にしかならぬのを見て、私は頗るたまげたのである。
 一貫目の茄子が、何個ほどあるか知らない。しかしながら、一貫目四十四銭八厘に売れるとすれば、いかに金の価値が低くなった現今においても百個三銭五厘当時に比べ、随分うまい話じゃないか。少なく見積もっても、百個の茄子は、一貫四、五百匁はあるであろう。
 しからば、農家は青物組合へ盛んに荷を出す筈であろうと考えるが、実際はそうじゃない。都会から、買い出し部隊が列をなしてやってくるからだ。
 背負い袋、大風呂敷、配給籠などを提げたおかみさん連が、子供までぞろぞろ連れて、都会の方から幾組も幾組もやってくる。そして、農家の庭前に立って、
「なにかありませんかね」
「ねえこともねえ」
「あったら、少し分けておくんなさい。なんでも結構です」
「面倒だな」
「そんなこといわないで、お慈悲ですから少し分けてくださいよ」
 そこで百姓は、迷惑らしい仕草よろしくあって、のろのろと家の中へ入って行った。
 都会のおかみさんは、にこにこした。
 農家の親爺さんが、家の中の土間から持ち出したのは、一括りの野菜である。
「これだけ、やるべえよ」
 おかみさんは、満悦である。
「すみませんね、お手数かけて――それでお代はいくら差しあげたら、よろしいのでしょう」
「なあに、これんばかりの品だから、いくらでもかまわねえよ」
「でもね、おっしゃってくださいよ」
「おれにや、値は分からねえだよ。まあいいから持ってくさ」
 実際問題として『いくらでもかまわねえ』というのはまことに相手にしにくい。いくらいくらと言って貰えば、高かろうが安かろうが[#「高かろうが安かろうが」は底本では「高からうが安からうが」]、その通り支払うのであるが、この返答には当惑する。まるで見当がつかない。しかも『いくらでもかまわねえよ』といった親爺さんの顔には、それとはまるで反対の表情が、ちらちらしているのだ。
 寸時の間、沈黙が続いたがおかみさんは横を向いて蟇口のなかから十円紙幣一枚だして、
「少しですみませんが、これ取って置いてください」
「これじゃ、お剰銭《つりせん》がねえがの。いまちょうと細けえのがねえんで――」
「お剰銭なんぞ、いいんですよ」
「それじゃ済まねえの」
 このときはじめて、農家の親爺さんの頬と小鼻の脇に、笑いの表情が動いたのである。「それじゃ、お剰銭がねえがの」という手に対しては、都会のおかみさんは馴れたものである。万事、心得たものだ。
「おじさん、またきますから、こん度おじゃがなんか、売って頂戴ね」
「あいよ。この相場なら何でもやるよ。おれのうちになければ、近所から都合してきてもやるべえよ」
 野菜買いだし問答は、こんな調子のものであろう。
 先日、私はこの夏食べねばならぬ時無し大根の種を蒔き終わり、縁に腰かけて煙管で一服やっていると、三十歳前後の見知らぬ男が庭先づたいにやってきた。そしてだしぬけに、しかも、なにか憚るように、
「おじさん、なにかありませんか」
 と、いうのである。私は、この青年見当違いをしてやってきたなと思った。
「なにかありませんかって、どんなもの」
「米でも、じゃがいもでも結構なんですがねえ、少し――」
「なんだ君は買いだしか――だが僕のところには生憎なにもないんだよ」
「うそ言わないでさ」
「うそだもんか、僕の方でほしい位だ」
「じょうだ
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