石を食う
佐藤垢石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)岩魚《いわな》
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岩魚《いわな》は、石を食う。石を餌にするわけではないが、山渓の釣り人に言わせると、一両日後に増水があろうという陽気のときには、必ず岩魚は石を食っている。岩魚の腹を割いて、胃袋から小石が出たならば、近日中に台風がくるものと考えてよいと、まことしやかな顔をするのである。
それは、ほんとうかどうか知らない。だが、小石をまとめた筒の巣のなかに棲んでいる川虫を、石筒のまま岩魚が呑み込んでしまうのは事実である。虫を消化すると、石は自然に排泄されてしまう。
山の漁師は、増水に備えるため岩魚は石を呑んでからだを重くし、水に押し流されない用心だと、言うが、それは台風がきたとき思い合わせた結果論ではないだろうか。それはとにかく、岩魚は悪食だ。共食いもやる。水を渡る蜥蜴《とかげ》も食う。殊に、鰍《かじか》は大好物のようである。山村の子供が、岩魚釣りの置き鈎の餌には、鰍を胴中から半分に切って、鈎先にさしている。活きている蛙にも、岩魚は飛びつく。
虹鱒《にじます》の共食いには、驚いたことがあった。浅間山麓六里ヶ原の北軽井沢に、一匡邑《いっきょうゆう》と呼ぶ文化村があって、そこへ別荘を構えた物持ちが、庭前へ虹鱒の養殖池を設けた。自分は月に二回か三回、別荘へくるだけであるから、池の管理は雇人に任せた。ところが、その雇人は怠けものであったから、ろくろく鱒に餌をやらないのである。
だから、親鱒は次第に痩せていった。ところで、ただ痩せるばかりでなく、池の鱒は一日ごとに数が減っていくのだ。池の水口には厳重な金網が張ってあるし、畔には跳ね返りをめぐらしてある。決して逃げられるはずがない。だのに、鱒の数は減っていくのだ。
雇人は不思議に思って、ある朝池を覗いたところ驚くべし、一尾の親鱒は自分より少し小さいくらいの親鱒を頭から呑み込み、その胴までを口にして、池の中を泳ぎまわっているのを見たのである。鱒は小さい形のものから、次第次第に大きい形のものの餌になっていたのである。
私は、その頃ちょうど六里ヶ原へ山女魚釣りの旅をしていたので、この話をきいたから、朝早く一匡邑の傍らを通るたびに、その池を覗いたのである。私もついに、大きな鱒が口も割《さ》けよとばかり、同類を口にしているのを見た。
鱒科の魚は、腹が空になれば何でも食う。
底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
1951(昭和26)年8月発行
初出:「釣趣戯書」三省堂
1942(昭和17)年発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年5月2日作成
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