浅間山麓六里ヶ原の北軽井沢に、一匡邑《いっきょうゆう》と呼ぶ文化村があって、そこへ別荘を構えた物持ちが、庭前へ虹鱒の養殖池を設けた。自分は月に二回か三回、別荘へくるだけであるから、池の管理は雇人に任せた。ところが、その雇人は怠けものであったから、ろくろく鱒に餌をやらないのである。
だから、親鱒は次第に痩せていった。ところで、ただ痩せるばかりでなく、池の鱒は一日ごとに数が減っていくのだ。池の水口には厳重な金網が張ってあるし、畔には跳ね返りをめぐらしてある。決して逃げられるはずがない。だのに、鱒の数は減っていくのだ。
雇人は不思議に思って、ある朝池を覗いたところ驚くべし、一尾の親鱒は自分より少し小さいくらいの親鱒を頭から呑み込み、その胴までを口にして、池の中を泳ぎまわっているのを見たのである。鱒は小さい形のものから、次第次第に大きい形のものの餌になっていたのである。
私は、その頃ちょうど六里ヶ原へ山女魚釣りの旅をしていたので、この話をきいたから、朝早く一匡邑の傍らを通るたびに、その池を覗いたのである。私もついに、大きな鱒が口も割《さ》けよとばかり、同類を口にしているのを見た。
鱒科
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