五月、六月の若鮎の溯上最も盛んな頃は、山から雪が解けて来るか、打ち続く霖雨のため、川の水は極めて多い季節である。その頃、岸に近いところの石をなめた跡は、渇水期になると岡へ上ってしまう。だから、暑中になると岡石に鮎のなめ跡を発見するものだ。

     五

 出水がなくとも、石に新しい垢がつく場合がある。それは、石についた水垢は出水のないこと数十日に及ぶと随分厚くなる。垢が厚くなって腐ると、太陽の熱を受けて垢の面に小さい泡を吹いて自然に剥げて流れ去るものである。この流れ去った後へも新しい垢がつく。その場合も出水について新しい水垢がついたのと同じ条件で釣れる。
 新しい水垢は、川一帯に同時につくものではない。それと同じに、川一帯に同時に腐るものではない。水垢は太陽の光線に近い汀の石や、ゆるやかな流れのところから腐りはじめて、次第に深いところへ、激流へ及んで行くものである。だから、岸に近いところの水垢が腐っていても深いところや、奔端の真ン中へは立派な垢がついているのである。激流の中の垢は、いつも新しくまた質が良いと考えていい。鮎が好んで激流に棲むというのはこれがためである。汀に近い石が腐っていても、その川を見限ってはならぬ。必ず流れの激しいところを試釣すべきだ。
 汀に近い腐った石にも、新しい垢がつくことがある。川へ立ち込んで釣る場合が多い。だから、汀に近い石は釣人の草鞋のために踏みにじられる。踏みにじられると、腐った垢は洗い去られるからそこへ新しい垢がつくのは当然である。
 目ざとい鮎は、決してこれを見遁しはしない。機会があれば、その新しい垢をなめようと心掛けている。だが、日中は釣人の影を怖れるために、汀へは近づいて来ない。夕方が来て、釣人が岡へ上り、帰り仕度をはじめて川が静かになると鮎はあたりの様子を窺いながら、汀の石に近づいて、背鰭が水面に出でんばかりのところで水垢をむさぼり食う。これを『夕暮の食出し』というのである。夕暮の食い出しを釣ると、まことに愉快である。
 川に並んで、釣っていた多くの人が帰途についた後、自分一人が磧へ居残って、一時間ばかりも一服喫った後、短い竿を操縦して静かに岸近いところを釣ると、日中は深いところに隠れていた大きな鮎が、どこからともなく集って来て、面白いように鈎に掛る。そろそろと後すざりに上流へ囮鮎を引き上げて行くと、直ぐグッと掛る。忙し
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