である。手を拱いて磧に座すのみである。
ところが、一度水が出て、川底の石を綺麗に洗い去り、水が治って一週間か十日もたつと、川底の石に薄く新しい垢が乗って来る。この時こそ、釣人は見遁してはならぬ。鮎は長い間腐った垢に閉口して居り、また出水によって食料を失い、ペコペコに腹を空かせている場合であるから、新らしいおいしい水垢を発見すれば、狂気のようになって争い食う。そこへ囮鮎を放つと、文句なしに掛ってしまう。だから、釣人は出水後の十日か、一週間が最も大切な時と思わねばならぬ。
四
出水があって、川底の石を洗った跡を『白川』と呼ぶ。『白川』では、鮎が釣れないのを普通とするが例外もある。
大きな岩のかげ、又は沈床のかげ、玉石の根まわりには、出水があっても水垢が残るのである。何処の川底も出水のために綺麗に水垢を洗い去られると、鮎はやせてしまう程に腹が減って来る。事実に於て、出水後の鮎は出水前の鮎に比べて同じ丈でも目方はぐっと減っている。それ程空腹になるのであるから、鮎は必死になって餌を求める。偶々、岩のかげや、玉石の根まわりに残り垢を発見するとそこへ集って来て、多数で争い食うのである。そこへ囮鮎を放てば必ず釣れる。
故に、白川となっても諦めては早計である。垢の残っていそうなところを仔細に観察し、川の中へ足を踏み込んで、爪先で石のまわりを撫でまわして見て、そこに少しでも残り垢のあるのを発見したならば、必ずその附近に鮎がいるものと思っていい。釣人がこんな場所を発見すれば、鮎を一人占めに釣ることが出来る。
川が濁っても鮎は釣れる。川へ膝まで入って、足の甲が見える位の濁りならば、友釣に掛るものである。濁った時の方が却って釣れる場合がある。鮎は人の姿を恐れる。だから汀に近いところに、新しいおいしそうな垢があっても日中は近よらないものである。ところが、川が薄濁りになって来て、身を隠すに適当であるならば、深いところにいた鮎は争って汀近くへ集って来て盛に遙か遠くから指をくわえて眺めていた垢石になめつくのである。川が濁ったならば、ヘチを釣れとはこのことをいうのである。そこで、濁りが消え水が去った後、岡へ上った石を見ると鮎の歯跡が縦横に印せられてある。これを『岡なめ』という。
『岡なめ』は居付鮎が残したもののみを呼ぶのではない。溯上期の鮎も『岡なめ』を残す。それは、四月末から
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