てくる黒鯛釣りに興じたのも記憶に新ただ。
 三州豊橋の傍らを流れる豊川へは、上流長篠の近くまで鮎を追って遡って行った。牟呂の海では鮎と鰡と白鱚《しろぎす》と沙魚《はぜ》を釣った。美濃へも、表飛騨へも鮎釣りの旅をした。殊に、裏飛騨の釣り旅は感銘が深かった。
 神通川は、飛騨国境の蟹寺で東の高平川と、西の宮川とに分かれるが、宮川の鮎は日本でも最も姿の大きい一つに数えられるであろう。そのうちでも、打保から巣の内へかけての宮川は、峡流岩を噛む間に、勇ましき友釣りの姿を見て、深渓の釣興に一層の趣を添えたのであった。
 京都の保津川では、はや釣りと友釣りを楽しんだ。丹後の由良川でも釣りを試みたが、和知鉄橋付近にうぐい[#「うぐい」に傍点]の多いのに、驚いたことがあった。土佐の鏡川でも、鮎の群れに眺め入った。
 顧みれば、私の釣りの年月は長かった。だが、これからもまた、布衣《ほい》をまとって、いつまでも渓に海に、竿と糸とに親しむ自分であろうと思う。



底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
   1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
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