の三宅孤軒君も、一昨年越後からの帰りに後閑で、キネマ界の利け者野中康弘君の友釣りでとった鮎をご馳走になって、その味と香気と肉の舌離れのあざやかさに驚いたのであった。鮎は、長良川と多摩川に限るように思っていたのに――鮎は、水温の高い川に育つと骨が硬くなるのである。先年、ある学者が、鮎の味は水温の高い川で漁《と》れたものに限ると何かの本に書いたことがあるが、私はそれを読んで学者は学者らしいことを言うものだと、思ったのである。
 冷たい水を好んで棲む魚は、どれも骨が柔らかである。山女魚《やまめ》も、岩魚《いわな》も、鱒《ます》の子も。――骨を除いて食べるようでは、こうした魚の真の味を知る人とはいえないのである。最近知ったことであるが、榛名湖で釣れる公魚《わかさぎ》は本場の霞ヶ浦でとれるものよりも、骨が柔らかである。これも榛名湖の水温が低いためであろう。
 こう数えてくると、鮭科に属する魚のみが、水温と食味に関係があるようであるが、そうではない。
 鰍《かじか》とはや[#「はや」に傍点]も水温の高低によって味と骨の硬軟に密接な関係を持っている。殊に鰍は水温の低い川に棲むものほど脂肪が濃く、骨がやわらかである。那珂川や、魚野川、鬼怒川などに沢山いて、里の子供が鰍押しで春から夏にかけて漁《と》るが、水温が高いためかどうも賞味できないのである。
 ところが、片品川の奥や、神流《かんな》川のように遠い雪の山から流れてくる川で漁れたものは格別である。殊に利根川の薄根口から上流、真庭、月夜野、上牧にかけての鰍は肉に脂が乗った具合がとろりとして、舌の先で溶けてしまうほどである。
 鰍は二月から三月へかけて、上流に近い玉石底の矢倉《やぐら》石の裏に産卵するのであるが、水温が低くなって十二月半ばから、翌年の雪解水の終わろうとする五月下旬までが一番おいしいのである。柔らかくて頭も骨もないのである。水温の高い川の鰍は、そうはいかない。
 うぐい[#「うぐい」に傍点]やはや[#「はや」に傍点]もそうである。早春、水の冷たい、まだ瀬付き前の巣離れといった頃釣ったならば、骨がやわらかである。ところが水温が次第に高くなってくるから、河口に近い下流で釣ったはやは義理にも食べられない場合がある。
 はやと山女魚と雑居している川はまれではない。東京付近では、多摩川の支流秋川も、甲州南|都留《つる》の笹子川もそうだそうである。利根川では岩本から上流ならば、どこでも山女魚の釣れる所では、大抵はやが釣れるのである。もうこの辺になると、暑中でも水温が低いから下流では食えないはやも相当の味に食えるのである。
 水上温泉の旅館と、駅売りの弁当では、はやの焼き枯らしを、煮びたしにして客に出したところが、大そう歓迎されたのである。しかし、そう[#「そう」は底本では「さう」]沢山はとれない。そこで苦し紛れに信州から養殖のはやを取り寄せ、利根で釣れたのですといって誤魔化《ごまか》したところ、蛹《さなぎ》臭いので直ぐ化けの皮が現われたという話である。
 越後の魚野川は、雪の山から出てくるのであるから、小出町付近で釣れる大鮎はさぞかしと思われるが、大したものではない。地盤の構成によって、川床に敷く石が小さいためもあろうが、水温が非常に高いので硬いのである。また、鮎特有のアノ香気が薄い。
 越中国の神通川の上流、裏飛騨の宮川の大鮎は、土地の人の自慢の一つであるが、水温と水質の関係で、皮がこわく、骨が硬かったのである。この川に大きなはやが数多く棲んでいた。巣の内の宿で出してくれたが、味は上等とは思えなかった。この魚を飛越線の鉄道工事に雇われている鮮人の細君が、川の浅い所へ伏せ※[#「竹かんむり/奴」、第4水準2−83−37]《ど》を置いて漁《と》っているのを見たが、鮮人の婦人は何でもやるものだと思ったものである。
 ところが、表日本の長良川の上流、上の保川や吉田川、飛騨川(越中にも飛騨川というのがある)の鮎は水温が低いので、上等の食味を持っているのである。これらの川の岩質が、鮎の好きな上質の水垢を発生させるのに、適しているからであろう。
 越後の海へ注ぐ阿賀の川の支流、只見川も鮎では有名な川である。宮川のそれよりも一層こわく、肉がやわらかである。殊にアノ香気と風味を、全く持っていない。名前倒れの川であることを我々釣り仲間が行って知ったのである。やはりこれも、水温が高いのと、川底が平凡であるからである。
 川は小さいといいながら興津川の鮎が尊ばれるのは、このせいであろう。
 こんな、取りとめもないことを書いて、学者や、物識る人に笑われるであろうか。



底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
   1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
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