っていては、もう何処《どこ》だって[#「何処《どこ》だって」は底本では「何処《どこ》だつて」]演説会場を貸すところなどありません。ですから、今夜頼母木と一緒に歌舞伎座で私の推薦演説をやってください。それができんとすれば、こん夜の頼母木の推薦演説はやめてください』
『そうか。じゃが今夜の頼母木の推薦演説をやめるちうことはでけん。やむを得んから、貴公も今夜共に推薦することにしよう』
『ありがたい。うそではありませんな』
『わしは、二枚舌は使わん』
三木は、横っ飛びに自分の選挙事務所へ飛んで帰った。もう、夕暮れである。参謀の者を集めて伯爵との談判の次第を語り、直ぐ腕強の者五、六人を歌舞伎座へ送り、玄関前へ内閣総理大臣推薦の頼母木桂吉の立看板と並べて『憲政会候補者三木武吉』の立看板を立てさせてしまった。これを見て頼母木派では、びっくりしたり憤慨したりした。両派の、十数人のものがこの立看板を取り囲んで、
『ぶっくじけっ!』
『命にかけても手はふれさせん』
などと、大した騒動がはじまった。
一方、三木は早稲田の伯爵邸から大隈の自動車に便乗して、総理大臣官邸へ行き、頼母木派に大隈を奪い去られないよう張り番している。そこへ、歌舞伎座から注進があって、いま三木派の者がやってきて勝手に立看板を立てたり演壇の近くへ大きなビラを下げたりして大混乱をはじめている。愚図々々していると、せっかく準備した会場がどうなるか分からないから、早く総理大臣にきて頂いて、演説を済まして貰いたい、と言うのである。すると、三木がその使者に、
『君たちは知るまいが、こん夜はわが輩と頼母木とを並べておいて総理大臣が演説することになっているのだ。わが輩の立看板を倒したりビラを破ったりすれば、こん夜の演説はやめにする』
『そんなわけはない』
『あるかないか、お前達は知らんことだ。四の五の言えば、総理大臣は歌舞伎座へはやらないことにするぞっ!』
そこへ、さらに続いて櫛の歯をひくように総理大臣の出動を催促する使者が次々にくる。けれども、官邸の玄関口でやっている押し問答は総理大臣室へは通じないから大隈は平然としている。そこへ堪りかねて頼母木が飛びつけて、伯に行き違いのことを尋ねると、そこに折りよく内閣書記官長の江木翼も居合わせて、
『総理大臣が、一人の候補者にのみ推薦演説をするというのは条理がたたないのは、政党人である君はつとに知っているはずだ』
と、頼母木に言ったから、頼母木は、
『うう』
と、唸って一言もない。江木は、非勢の三木を大いに贔屓《ひいき》にしていたのである。ところで、伯の執事がさらに口を添えて、
『私は、伯爵の大切のからだを預かっている責任者です。いま歌舞伎座が大混乱に陥っているという話をきいたが、そんなところへ乗り込んで、伯爵のからだに万一のことでもあったら、国家に対して申しわけがない。頼母木、三木両派が握手して演説会場を鎮《しづ》まらせぬうちは、総理大臣を案内することはできません』
と、やって大いに玄関派の真価を発揮したので、とうとう頼母木は往生してしまった。
大隈が歌舞伎座へ乗り込むと、既に両派の妥協がついていたから、場内は静粛である。総理大臣は拍手に迎えられ、隻脚をひいて壇上に立ち、日本の現状と世界の大勢に論及し、最後に、
『わが輩の友人頼母木、三木両君に一票を投ずるを希望してやまない所以《ゆえん》であるんである』
と、結んだ。
三木は、伯のうしろの椅子でほくそ笑んだ。伯の演説が終わると直ぐ、頼母木は伯にお礼の挨拶をしているのをみて、三木は、
――この、すきに――
と、咄嗟の気転で壇上へ駈け上がった。
『三木武吉君を紹介いたします』
三木の気のきいた幹部が、間髪を入れず呼吸を合わせてしまった。頼母木派が、狼狽したときにはもう、
『諸君っ!』
と、三木はやっていた。とうとう後の烏が先になってしまった。それから三木は壇上に立って滔々《とうとう》二時間、その間交替々々と付け紙が五分おきに壇上へ持ち込まれるが、三木は振り向きもしない。思う存分政見を披瀝《ひれき》して降壇したときには、そろそろ聴衆は帰りかけている。次に頼母木が登壇したが頼母木は例の通り言葉少なの方であったから、聴衆の人気は三木ほどには行かなかった。
その翌日、三木の選挙事務所へ頼母木の方から使者がきて、昨夜の演説会の費用を半分出せと言ってきた。半分どころか三木の方には百両の金もない。
『当方に相談のうえ歌舞伎座を借りたというのであれば、半分負担するのが当然であるが、僣越至極にも貴公らの方が勝手に演説会場を決め大枚の金を払ったのであるから、わが輩の方では一切知らん』
こんな挨拶で、頼母木の使者は追っ払われてしまった。
さすがにしぶとい[#「しぶとい」に傍点]頼母木の心臓も、三木の野放図もない心臓にはついに敵しかねてしまったのであった。
ところが、選挙の前の晩になって、やはり憲政会の候補者の鈴木万二郎(ハーゲマン)が神田の錦輝館で演説会を開くことになったが、大隈伯はこれへも推薦演説に出るというのである。そこで三木武吉は、例によって伯に対し、そこへ割り込みの申し入れをした。
大隈はまた、
『よしよし』
と、いうのである。だが、鈴木はこれをききあわてふためき、三木へ直接に、『三木君、それは堪忍してくれ。僕の方で費用は負担するから、何処か適当なところへ演説会場をこしらえて、そこでやってくれないか。歌舞伎座の二の舞をやられたのでは、目も当てられない』
『それもよかろう』
こんな次第で、費用は鈴木が持ち肝腎の大隈にも出席して貰って、ほかで盛んな演説会を開いた。だが、不幸にも三木はこのとき落選したのだ。
まことに、不思議な話だ。頼母木桂吉が東京市長になって去ると、三木武吉が報知新聞社長になって入ってきた。これも、なにかの因縁であろう。[#地付き](一五・三・三)
底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
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