薮から切ってきた竹では満足しなくなった。糸も、縫糸では面白くない、と私に言う。安い竿を買ってやり、糸もテグスを与えるようになった。
 ある秋のはじめ、村の地先の利根川へ流れ込む備前堀という小川の流れ口へ、小伜を連れて行ったことがあった。備前堀の流れ口へは、秋がくると毎年よく肥った大きなうぐい[#「うぐい」に傍点]が数多く遡ってくるのである。私も子供の時、たびたび父に伴われてここで釣った。で、このうぐい[#「うぐい」に傍点]は桑の葉の裏に這っている小さな青虫が大好物である。これを、鈎の先につけて釣ると他のどの餌をつけたのより成績がいい。
 その朝も、小伜にたくさんの桑の虫を捕らせた。竿と釣り道具も、私と同じようにこしらえてやった。竿は二間のやわらかいもの。道糸には水鳥の白羽を目印につけた脈釣り式である。道糸は竿一杯、鈎素《はりす》は四寸五分、板鉛の軽い錘《おもり》をつけてやった。
 釣り場へ行って、魚の餌に当たる振舞《ふるまい》を、目印につけた鳥の羽の動くようすで眼にきくことを、鈎合わせの呼吸などを説いて聞かせた。そして私と並んで、糸を水の中層に流させたのである。
 子供は勘《かん》がいい。それに、人の教えをよく守る。十二、三回、糸を波に送り流し、餌を取られるうちに、うぐいが餌に絡まる振舞を呑み込んだらしい。次第に手馴れていくほどに、三度に一度は鈎合わせがきくようになった。もう二、三年も前から、鮒も鯰も釣ったことがあるのであるから、鈎に魚が掛かってもあわてはしない。緩やかに道糸に送りをくれておいて、水から抜き上げる手際《てぎわ》は、我が子ながら天《あ》っ晴れと感じたのであった。
 やはり我が子だ、と思ったのである。
 その小伜が、東京の学校へ入ってからも、私は鴨居、野島などへ鯛釣りのお供をさせた。相模川と多摩川の鮒釣りへも、小田急沿岸の野川のはや釣りへも、水郷地方の鮒釣りへも連れて行ってやった。小伜が、都塵を離れ、広濶たる水上に清い大気を吸って、のびのびと自然に溶け込んでいる姿を見た。
 釣りは、人をすこやかに育てると思う。小伜に、いつまでも明るい人生を送らせたい。



底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
   1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
   1951(昭和26)年8月発行
初出:「釣りの本」改造
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