それを棒で掻き出し、眼を近よせて見ると、狸の肝《きも》らしい。庭下駄で蹴った。
 すると、ふにゃふにゃぬるぬるした肝のなかから、妙なものが飛び出した。蝋燭《ろうそく》の火を近くへ寄せてながめると、正に人間の形を備えているではないか。
 大きさは、拇《おや》指の頭ほど。
 雀右衛門は、それを水で洗わせた。付いていた汚物が落ちると、それが黄金色に燦然《さんぜん》として輝いた。
 試みに指を触れると、その感じは金属のようにして、堅きこと玉の如しである。衣類から足袋《たび》、顔形から眉髪に至るまで、小みどりの婉姿にそっくりそのままである。
 あまりの珍事に雀右衛門は、それを掌に載せて眼を瞠《みは》ったまま、しばし言葉がなかった。しかし、すぐわれに返って、
 古今未曾有の怪事であるぞ。あの雌狸をここへ連れ来たり一刻も早くあれも殺してしまえ。
 夜半から、はじまった仙公騒動であったから、もう黎明近かった。やがて、東雲《しののめ》がうすぼんやりと、淡色を彩った。
 小みどりを、同じ白州へ引き据えた。友禅模様の、めざむるばかりにあでやかな長着、緋縮緬《ひちりめん》の長|襦袢《じゅばん》が、いましめられた姿の裾からこぼれんとする。恰《あたか》も、雨にうたれた牡丹が、まさに崩れんとする風趣である。
 その方は、狸であろう。
 と、雀右衛門は小みどりを、にらみつけたのである。それをきいて小みどりは、あまりの風変わりの訊問なのに、わが耳を疑う表情で、雀右衛門を仰ぎみた。
 これ雌狸、正体を現わして神妙にしろ。
 とんでもない、わたしは狸などではありません。
 畜生の分際で、お上の役人をたぶらかすとは僭上至極。既に、その方の相棒たる雄狸は成敗相済んだ。今度は、汝の正体引きむいてくれる。
 いいえ、わたしは決してそんな魔性のものではありません。なにとぞ、お許しなされてくださりませ。
 狸扱いを受ける小みどりは、あまりといえば突拍子もないお調べに、気も転倒せんばかりに泣き伏してしまった。
 ほざくな、狸。それっ!
 雀右衛門が一喝すると、数人の武士共は、手に手を棍棒を振り上げて、小みどりの頭から背中、お尻の方へかけて、滅多打ちに打ち据えたから、繊《か》弱い女子の身の、間もなく[#「間もなく」は底本では「問もなく」]呼吸が絶えてしまったのである。
 例によって一人の武士が、小みどりの頭から冷水をかけた。この瞬間こそ、魔性が本体を現わす時だ。一同|片唾《かたず》を呑んで小みどりを凝視したけれど、一向に太い尻っ尾が出てこない。
 もっと、水をかけろ。
 武士は手桶から、瀧のように水をかけたが、小みどりはやはり小みどりのままで、長く伸びている。
 よほど年をへたしぶとい狸と見える。もっと、棒で叩いてみろ。
 屍体の骨が折れるほど、棒で撲った。しかし、やはり人間であって、雌狸とはならない。
 怪しいことだ。或いは見当違いであったも知れないが、火をかければ熱さに堪えかねて、大狸となって走りだすかも知れない。ということになって、例の如く小みどりの屍へ粗朶を積み油をかけて火を放った。
 けれど、さっぱり妖物とは化さぬのである。やがて、屍も粗朶の山も、灰となってしまったのである。ところで、灰のなかを掻きまわしてみると、前回と同じように、ふにゃふにゃした一塊が、焼け残っているではないか。
 もう東の空に陽《ひ》が上がった。朝の雲は静かである。
 一人の侍が、そのふにゃふにゃを下駄で踏むと、前回と同じに、人間の形をなして小さなものが飛び出した。水で洗ってみたところ金色燦爛とした指頭大の、まがうかたなき男の姿、掌に乗せ、陽の光にすかしてみると、前夜離れの庭先へ忍び込んだ青年の面貌に、そっくりそのままだ。衣装から、髷の形まで。
 雀右衛門は、あまりの珍事続出に、自分の膝をつねってみた。
 諸君。一体これはどうしたことだろう。あるいは今われわれは、狸の怪につままれているのではないだろうか。いずれも、膝皮膚をきつくつねってみろ。
 と、いうと苦労人である下僚が、
 いやいやこれは有難き大恵でありましょう。天の神さまは、日ごろ吉野雀右衛門殿の慈悲を賞し、黄金象形の重宝を下し給ったに違いない。藩公に、生きた人間を奉るというのは、失礼に当たるという思し召しかも相知れません。
 もっともの観察であると雀右衛門は、下僚の言葉に耳を傾けた。そこで、二つの黄金人形を錦の布に包み、香水をそそいで白木の箱に納めたのである。そして、小みどりの母に対しては娘が病死したことに告げて、過分の香料をとらせてやった。
 瀧川一益の病気は、全快した。雀右衛門は例の白木の箱を捧げて藩公の膝下に伏して、過ぐる夜の狸退治の豪男物語りから、怪事続出、遂にかかる事実を入手した条を述べて、ひたすら一益の勘気平穏を乞い奉ったのであ
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