に漂うと思っていたがこれだな、あの小みどり情人の若者は――。
 それそれ――今晩はわれらの手柄、これから一盃いけるちうものだ。
 もう少し、きびしくいましめる、逃がしてはならん。
 奉行所の白州へ引き立てたのである。吉野雀右衛門は、一切の経過を聞いてから、下僚と共に白州の正面へ着座して、声をあららかに訊問をはじめたが、なんと責めても怪漢は、一言も口を開かない。
 拷問にかけえ。
 これは、この頃の刑事部屋の風景と、ひどく彷彿としている。
 怪漢の膝へ、重い大谷石を乗せて置いて、係りの廷丁《ていてい》が、太い撲り棒で、背中を滅多打ちに撲りつけた。ところが最後の一打が撲りどころが、いけなかったらしい。
 うっ!
 と、一唸り唸ると、脆くも怪漢は、身体がぐにゃりとなって、横倒れに倒れてしまった。同時に、呼吸が絶えた様子だ。
 こら廷丁、少し打棒がはげし過ぎたぞ。
 はい、ですが水をかければ、すぐ息を吹き返します。
 手桶から、柄杓《ひしゃく》で頭へ水をかけた途端、十重、二十重に縛られたままの怪青年は、子牛ほども大きい魁然《かいぜん》たる大狸に化けてしまった。実に、思いがけない出来ごとだ。
 うへっ!
 武士共は、顔色変えてうしろへ飛び退いた。雀右衛門の手は刀の柄《つか》を握った。
 奇っ怪なり変化。
 雀右衛門はこわごわ、白州へ下りてきて、古狸を蹴ってみたが、やはり狸である。藷俵《いもだわら》ほどもある大睾丸が、股の間からだらりと伸びたれていた。
 人間が、狸を情人に持つとは、昔からきいた例しがない。ことによると、あの小みどりは雌狸かも知れないぞ。逃がすな、それっ!
 吉野の下知《げじ》に、武士共は離れ座敷へ駆けつけて、泣き叫ぶ小みどりを、厳しく括り上げたのである。
 妖怪変化は、そのまま葬っては、幽冥界から再び帰ってくる虞《おそ》れがある。まず皮を剥いで取って置き、骸《むくろ》は油をかけて焼いてしまえ、これ者共。
 仙公狸の骸を白州から庭へ引き出し、上から粗朶《そだ》を積み、油をかけて火を放った。自ら承知の上とはいいながら、人間を恋したばかりに、あえなき狸の最後であった。
 ところで、山と積んだ粗朶も焼け落ち、油も燃えてしまってから、灰掻きわけてみると、狸の肉も骨も共に灰となっている。だが灰の中に、なにかふにゃふにゃしたものが残っている。
 奇っ怪に思って、一人の武士が
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