振りもぎって、馬に一鞭をくれて、ぽくぽくと出て行った。
 張華の邸へ来って刺《し》を通じたところ、張はこれを鄭重に一間へ案内した。そして古今の経書詩文を論ずること、三日に及んだけれど、いつかな青年は屈しない。
 そこで、張華は考えた。
 自分は、いままで随分交友は広い。また学界のことについては、寡聞の方ではないと思う。だが、今の天下にこんな博識にして蘊蓄《うんちく》の深い人物がいるとは、聞き及ばなかった。しかも、白面の青年じゃないか。あるいはこれは、人間じゃあるまい。魔性の物が、自分をからかいに来たのかも知れぬ。
 と疑いを起こしたのである。
 そこで張華は、用事の振りして室の外を出て、家僕に命じて邸内の入口という入口をすべて塞いでしまった。そして、座敷を改めて青年を厚くもてなし酒肴を勧めて、その鬼才なるを賞めあげた。
 座が興に入ってきたところを見計らって、家僕がその家の猛犬を追い込んだ。ところが、犬はきょとんとして、猛犬たる使命を発揮しない。
 なに食わぬ顔をしているどころじゃない。主人の傍らへ走って行って、膳の上の肴に口をつけるという案外の状況である。
 客の青年はと見ると、泰然自若として、やはり人間だ。
 そして哄笑しながら、張華先生足下は、国家の棟梁《とうりょう》じゃないか。食を吐きて土を入れ、賢者を進用し、不肖者を黜退《ちゅったい》すべき、地位にあるのであろう。
 なな、なんと。
 しかるに犬などをけしかけるとはなにごと。足下が、どんな手を用いてじたばたするとも、やわか小生を苦しめることはできまい。ゆったりと構えて、青年は壮語するのである。
 しかし、張華は少しも騒がない。最初は、しくじったかな、と思ったけれど、どうも態度が腑に落ちぬ。昔から、百年の精は猛犬をもってその正体を看《み》るべし、千年の精は千年の神木を焼いて、その火をもって照すべし、と言い伝えられてある。
 よろし、燕の恵王の陵の門の前の神木は、千年あまりの齢をへている。これを伐って、その火で照らしみようと思い当たった。そこで密かに使いを陵へ走らせたのである。
 使者が門前へ着くと、そこに青い衣を着た一人の少年が立っていて、その用向きを問うたのである。使者は、事の次第を少年に語って聞かせた。すると、少年は潜然《せんぜん》と涙を流し、
 老狸無知にして、わが言葉を信せず、ついに禍いわれに及ぶ。遁
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