ていることは風のたよりにきいている。その男に何とか、三人の身の振り方を相談しようではないか。何とかなるだろう。
だが、果たして猪古目が長野にいるかどうかは、しばらくたよりがなかったから、長野まで訪ねてみねば分からない。しかし、いまはもう僕の懐には一文もない。旅費がないとすれば高崎から長野まで三十六里を歩いて行かねばならないのだが、諸君なにかほかに妙案があるか。
居候二人に、何の妙案も持ち合わせないのは分かっているのである。万事、玉汗の指導にまかせることにした。
もとより玉汗は僅かな家財しか持っていないのを売り食いしてきたのであるから、いま残っているのは古本ばかりだ。それを、紙屑屋に売って五十銭できた。これで何とか、長野まで露命を繋《つな》がなければならないことになったのである。
二月八日の、春たつ朝である。さて、三人は知恵を絞った。結局その五十銭のうちから、古道具屋へ行って矢立一本と、別に短冊十枚を買った。俳行脚《はいあんぎゃ》の者に扮《ふん》し、私が発句を読み、字の上手な玉汗が短冊に筆をはしらせ、道中で役場や小学校を捜しあて、口前のうまい銀平が短冊を売って歩こう、という仕組ができたのだ。
ひる前に、高崎をたった。料峭《りょうしょう》の候である。余寒がきびしい。榛名山の西の腰から流れ出す烏川の冷たい流れを渡り、板鼻町へ入ったとき、さつま芋を五銭ほど買って、三人で分けて食べた。それから安中《あんなか》宿に続く古い並木を抜けた途上であったと思う。一つの小学校のあるのを発見した。そこでいよいよ商売に取りかかることになった。発句の方は私に旧稿があるし、字は玉汗がすらすらいけるからいいとして、一番しっかりやって貰わねばならないのは銀平の役目である。ところが銀平は尻ごみして動かない。
『おれは決心が鈍った』
と言って、路傍の石に腰をおろし、空を向いて瞑目した。
『高崎をたつときは、随分鼻息が荒かったが、どうしたんだい』
『馬鹿にはにかんじゃったな――そんな人柄じゃあるめえ』
などと、玉汗と私はからかったが、銀平は真面目な顔で、
『おれは不得手《ふえて》だ』
と呟《つぶや》くのである。
もっとものことだ。駄洒落《だじゃれ》みたいな発句と妙な字をぬたくらせた短冊を、自分たちにしたところが、それを持って役場や学校の玄関へ立てるだろうか。どんなに押しの強い人間でも、こ
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