から平野へわたる風のなかに立っていた。その標柱の礎石の前の小さな石塊を背に分けて、東側に降った雨は遠く流れて太平洋へ、西側へ降った雨の粒は日本海へ、おのおのの行方を語るのであろう。路傍の赤土の面を掘った細い糸ほどの溝の跡が二本。一本は利根川を指し、一本は信濃川を慕い、思い思いの方を向いて互いに運命の坂を下っている。
 私らはそこから行手をみてびっくりした。顧《かえり》みれば、下野の男体山から赤城、榛名、妙義、荒船、秩父山かけて大きく包まれている関東平野は、もう浅春の薄い霞の帷《とばり》をおろして、遠く房州の方へ煙っているというのに、信濃の国の方は青銀色に冴えた一面の雪野原であった。
 山の中腹の、浅い雪からは、枯芒が穂だけ出している。吹きだまりの深い雪には落葉松が腰まで埋めている。大浅間の頂は、真っ黒な雪雲に掩われて窺い知れないが、南佐久の遙かな空には真っ白な蓼科山が鋭い線を描いて、高く天界を截《き》っていた。
 凄寒を催す眺めだ。この雲行ならば、また雪が飛んでくるかも知れない。風が、痛い。長野まではまだ道のりの半分もきていないのだけれど、何の防寒の用意もなく懐も冷たい私たちは、これから先、この積雪のなかを、踏み分け踏み分け行かねばならないのか。それを思うと、脚が立ちすくむ。
 こうして、寒雪に恐れていつまでもここに佇むわけにはゆかぬ。勇気をつけて、軽井沢の方へ坂を下った。軽井沢の宿へ入ると、人の踏みつけた雪は凍って、油断をすれば低く摺り減った日和下駄の歯が、危うく滑りそうになる。
 いまの軽井沢は、文化風の建物が櫛比《しっぴ》して賑やかな都会となっているが、そのころはまだ北佐久郡東長倉村の一集落で、茅葺屋根の低い家並みが続いていて、ペンキ塗りの外人の避暑小屋は落葉松の林のなかに、ばらばらと数えるほどしか見えなかった。殊に冬は死んだように閑寂とした宿であった。
 きょうも長倉村でさつま芋を五銭買って分けて食べた。ところが信州は物が高いと見える。
 上州の板鼻で買ったときよりも、同じ五銭でありながら、きょうの方が量が少ない。そんな細かいことに気づいて、三人は笑った。
 浅間|颪《おろし》が、横なぐりに雪の野を吹き荒れてくる。だが尻をからげて路を急いでいると、峠の上で恐ろしがったほど寒さを感じない。かえって、ほんのりと額に汗がにじむくらいである。
 沓掛の宿を過ぎた頃は
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