眼を薫《くん》ずるに困ると申されたりと。と、書いてある。

     三

 江戸末期になると、酒の質が次第に悪くなったようである。気烈にして鼻を衝き、眼を薫ずるには閉口する、とこぼした類《たぐい》の酒が市中を横行したに違いない。
 やはり、文政頃の酒価と酒の質について『異聞雑考』の記すところでは――味噌は甲午の夏五月より、金一両二十貫四百目になりぬ。諸物の貴きこと此ときに極《きわま》れり。酒は一升三百三十二文より下価の物なし。それも水を加味しぬるより、味ひ水くさく酔はずといふ。多く飲む者は必ず下痢す。升売酒屋は各紙牌を張り出し、酒高価に付はかり切に仕候[#「候」は底本では「侯」]。入れ物御持参下さるべく候、と記したり。この余、薪炭紙絹布の類、魚肉野菜に至るまで、日用の物はひとつも下値なるはなし。悉く記するに遑《いとま》あらず。余は、なぞらへて知るべし――と、あった。
 文化文政頃の酒徒が、元享永祿の昔、伊勢国で酒一升銭十九文から二十三文位の値であったという古い記録を見て、大いに自分達の不幸を嘆じたさまが、眼に映るようだ。けれど、天正時代となると既に酒が高くなったのをこぼしているのがあ
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