功である。斜酣の得意思うべしだ。丘の上の路で仕度をして、帰途についた。電車のなかでも斜酣の話は、縷々《るる》として尽きない。きょうは諸君を初めての案内であったから、終日野山をかけめぐって只一つの巣を見つけただけであるけれど、調子がいいと一日に三つや四つ採るのはむずかしくない。
 武蔵野方面も蜂の巣は少ないことはないのだが、地勢の関係上、大した期待は持てないのである。一番見込みの多いのが東京付近では、千葉県の小高い丘や野原がいいと思う、鴻之台は先年やってみて随分成績をあげた。しかしそれよりも、船橋から東京の京成電車の沿線にひろがっている林や芒原は、いまだ全く手がついていないから、いわば処女地だ。そこには必ず蜂の巣が、又か又かというほどあるだろう。
 さらに、かつて鬼熊が出た方面の叢林《そうりん》へ行けば、ただ路傍を歩いていても発見できるに違いない。埼玉県も浦和から大宮の間の林には相当いる。だが、それよりも信越線の桶川、吹上方面の方が有望だ。また、池上本門寺付近も市街に近いが見のがせない場所だ。
 何れにしても、その採蜂ハイキングというのは、一日を何も忘れて山、野、林、畑のなかを駆けまわり、へとへとになって我が家へ帰ってくるところが、甚だ健康的なスポーツであって費用もかからず、勝負という邪念も伴わず、おまけにお土産もあってそれが素敵に営養的だから、釣りとほとんど同じ遊びである。誰に勧めても苦情はこまいと思う。
 以上が、斜酣の採蜂スポーツに対する結論だ。
 きょう採った蜂の巣を、斜酣の家へ提げ込んだ。五人がかりで蜂窩《ほうか》から子供を引っ張り出して見ると、それが二升ばかりもあったのである。油炒りに、蜂の子飯。味は河豚の白子の味のようでもあるし、からすみにも似ている。動物の卵巣が持つ共通の淡味を舌に残して、酒が甚だおいしい。小杯を傾けて論愚、痘鳴を南支へ送った。[#地付き](一四・一〇・五)



底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
   1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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