瞥すると、それは長崎料理の角煮に似たものだ。熊肉を煮込んで、それを燐寸《まっち》の小箱ほどの大きさに切り、それに濃い香羹《こうかん》がかけてある。一塊を箸でつまんで舌上に載せたところ、かつて熊掌料理を食べたことはないが、なんとなく口ざわりが、それとは違うようだ。先年、吾妻渓谷の奥で、すき焼きにして食った月の輪熊の土の香もない。
 これならば、牛肉のシチューとなんの選ぶところがないではないか、と丸い卓を囲む衆議が一決したのであった。そこで、今回の割烹を司った広東出身の料理人である張伊三を座敷へ呼んで、料理の次第を問うてみた。
 張伊三が言うに、お察しの通りこれは熊掌ではありません。羆の脊肉です。元来熊肉料理は肋肉を尤《もっと》もとし、その脂肪潤沢に乗ったところを賞味するのですから、脊肉では至味とは言えません。けれど、料理には遺憾なく腕を揮ったつもりです。まず生肉を蒜薑を刻んだものと、酒と醋に一昼夜漬け込み、そのまま高熱で煮て燗熟させ、土臭を去り、ついで塩と醤油で味をつけ、さらに広東料理特有の香羹をかけたのであります、と言う。
 なるほど、その料理はおいしいにはおいしいが、羆という特色は、
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