込む土間で、その処分についていがみ合う。昭和六年の東北地方の凶作の年の、哀れな農村の生活の姿が、詳《つぶ》さに書いてある。
 処分について問題となっているのは熊の皮と胆嚢と肉とであるが、寒夜の高利貸らも村人も熊の肉には、ひどくよだれをたらしているらしい。それはともかく、凶作の年の猟師らには銃猟税など納められない。高値な火薬々玉など買う筈もないのだ。親から伝わった鉄砲も、すでに売り払って米に代わった。
 鳥海山に熊がいる。それを獲って売って、米を買うことを考えたが、鉄砲のない猟師らは己の腕力に物をいわせる外に、手段はないのだ。一人の猟師は、古槍を携えた。も一人は、鉈を握って行った。も一人は、鋤《すき》を舁《かつ》いだ。そして、大熊を刺し撲殺して麓の村のわが家へ持ち込んだのだ。なんと勇ましく、命がけのことではないか。
 それにつけて、想いだすのは私の意気地なさである。先年、奥利根川の支流楢俣沢へ岩魚《いわな》釣りに行ったことがある。一夜を渦の小夜温泉であかし、翌朝、宿をたって尾瀬ヶ原に通ずる崖路を、竿を舁いで一人で登って行った。朝は、昧暗から次第に薄明に目ざめて行くのである。淡墨の霧の底に、瀬音ばかりを響かせていた楢俣沢は、夜が明けると白い河原を渓の両側に展《ひろ》げているのだ。私は、歩きながらふと、何十丈か崖下の河原に眼をやった。すると大きな雌熊が仔熊二匹をつれて、岩の下の沢蟹を掘っては食い、掘っては食いしているではないか。その途端、私の腰はへなへなと、萎えてしまったのである。
 つまり、腰が抜けたのだ。熊の親子は、崖の上の山路に私が這いつくばっているのを知らぬらしい。なおも、悠々と蟹を掘っている。私は、熊を横眼で睨みながら、竿を投げだし、四つん這いに這って坂を這いはじめたが、うまく腰が動かない。ちょうど脚をかがめて寝た夜の夢に、魔物に追いかけられるが脚が痺れて意のままとならず、危なく生命を奪われようとすることがある。まさに同じ恰好だ。
 も一つある。それは四、五年前、浅間山の北麓六里ヶ原の渓流へ、山女魚《やまめ》釣りに行ったときのことだ。折柄六月中旬で、標高三千尺のこの六里ヶ原へはまだ春が訪れたばかりの頃であった。北軽井沢で案内人を雇い、鬼の押し出しの方から流れる濁り川と呼ぶ渓流へ足を入れた。
 渓流は、その頃まだ冬枯れのままの叢林に掩われている。案内人と二人は、あ
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