く辛抱してくれと、返電があった。
 その翌日だ。長い電報が、苫小牧からきた。第二陣は、白い草原に追い撃ちの策戦にでたところ、とうとう撃ち倒したのが、体重八十貫もある羆だ。北海道は、羆の産地というけれど近年は甚だ姿が少なくなった。だから、今回撃ち止めたのは珍しいことである。その肉を送ったから、賞味してくれというのだ。
 それが、いま北海道から届いたばかりだ。石油箱にぎっしり詰まって一杯ある。君がいかに貪食であっても、これは食い尽くせまい。ところでだ、同好の士を語らい、これを料亭へ持ち込んで、多勢して試食してみようではないか、という豪勢な次第となった。
 そういうわけであったか。何も知らぬこととて悪かった。僕は前言を取り消す。

  二

 いよいよ、羆の肉を小石川春日町のさる支那茶館へ持ち込んだ。
 私は幼いときから熊とは縁が深い。私の父は茶人であって、私がまだ十歳位のころ、秩父山の方から、一頭の子熊を買ってきた。丸々と肥っているが、大きさは子犬ほどしかない。首輪をつけて、庭の木に繋いで置くと無邪気に戯れて、まことに可愛いのである。ところが二、三ヵ月たつと次第に育ってきて、親犬ほどになると時たま野性を発揮して、人を襲う態度を示すので、村中の問題となった。飼主は可愛いから何とも思うまいが、野獣が村内にいるというのは、村民の脅威である。いつ誰に、危害を加えぬものでもあるまい。早く、なんとかして貰いたい、という抗議がでた。
 そこで、父はまことに尤もだと答えて、通りがかりの香具師《やし》に呉れてやってしまったことがあるが、そのとき私は子熊に別れるのがつらさに、涙を流したのを記憶している。
 その後、上州薮塚温泉の背後に連なる広沢山の横穴で捕獲した穴熊の肉を食ったことがある。これは肉がやわらかの上に、脂肪が豊かで甚だおいしかった。このときの料理は、狸汁のように葱《ねぎ》と蒟蒻《こんにゃく》を味噌汁のなかへ刻み込み、共に穴熊の肉を入れて炊いたのだが、海狸《ビーバー》の肉に似ていると思った。
 穴熊というのは、南総里見八犬伝の犬山道節が野州足尾の庚申山で化け猫を退治するとき、猫といっしょにとっちめた山の神のことである。つまりマミだ。国によっては穴熊を貉《むじな》と呼んでいるところもある。
 しかし、ほんとうの熊を食ったのは、つい五、六年前の話だ。私の義弟が、上州吾妻郡嬬恋村大字大
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