岸の漁師が喜んでいるほど鮎が多い。鬼柳の堰に、メスのように光る若鮎が躍っている。足柄山の尾根をきった空に、富士の白い頂が釣り人を覗いているではないか。
 伊豆の東海岸には鮎の川が多いのである。伊東温泉の松川、河津の河津川、下田の稲生沢川などは南国の流れである。
 早春の頃から水温が高くなるので、鮎が海からくる季節が早い。これらの川で探る鮎の餌釣りは暖国四国の餌釣りと共に、微妙な感覚を糸の揺曳《ようえい》に見る。

   六

 伊豆の狩野川の漁師の、友釣り技術は軽妙入神の趣がある。大河ではないが、割合に長い竿で、囮《おとり》鮎を入れては掛け、掛けて入れる巧みな姿を見ては、かくもとばかり足を止めざるを得ない。今年は川の水温が高かったので二月というのに、沼津の海から鮎の大群が上流さして遡ってきた。
 長岡、修善寺、月ヶ瀬、嵯峨沢、湯ヶ島と狩野川の沿岸は温泉郷の連続である。天城の山襞から流れ出た澄明な水に育った大きな鮎が、客膳を飾るに接しては人の心に鮮味の動くを感ずるであろう。修善寺橋の上から眺める白泡の流れの底に、七寸の大ものが追いつ追われつしていたのは既に五月の末であった。六月末には八寸に育つ。
 興津の名物は清見寺と、坐漁荘、枇杷《びわ》ばかりではない。興津川の鮎がある。古生層の緑色斑岩を主塊となす峻峰白根三山が、太平洋へ向かって長い裾を延ばした、その襟のあたりに水源を持つ興津川の水は玉のように洒麗《さいれい》である。底に点々とする石の姿もいい、水垢の色も艶《つや》々しい。
 崖の上の柑橘《かんきつ》畑から淵を望むと、まどらかな眼を頭の上へちょこんとつけて、楚《そ》々として相戯れている鮎の群れは、夏でなければ求められない風景だ。やがてそこへ簑《みの》を着た漁人が来て、巖上に立った。間もなく梅雨がいたるのであろう、緑の山に灰色の雲が低く動く。
 興津川の鮎は、食品として清淡なる海道随一の称があるのである。

   七

 日本三急流の一つである富士川に育つ鮎は、また素晴らしく大きいのである。
 笛吹川は甲武信岳の方から、釜無川は甲斐駒の方から、峡中を流れて鰍《かじか》沢で合し、俄然大河の相を具現して湲《えん》に移り潺《せん》に変わり、とうとうの響きを打って東海道岩淵で海へ注ぎ込む。富士川|下《くだ》りの三十里、舟中我が臍の在りかを確《しか》と知る人は、ほんとうにまれであろう。
 身延の駅を中心として下流が大島河原、上流が波高島《はだかじま》である。ここが鮎釣りの本場であって、百匁に近い大ものが渾身《こんしん》の力をこめて逸走の動作に移れば鈎も糸も、ブンと飛ばしてしまう。七月に入れば、水際に近い砂原の糸遊《しゆう》に揺れて、腰に通い筒を下げながら幾人もの釣り人が遠くかみ手の方へ歩いて行くのを見る。
 芝川、内房川、稲子川、佐野川、福士川、戸栗川、波木井川、早川、常葉川など、何れの支流も、今年は鮎が多い。四月下旬というのに若鮎は、河口から五十里も上流にある釜無川の支流塩川まで遡って行った。塩川は、甲信に蟠居《ばんきょ》する八ヶ岳の雲霧の滴りである。ここまで来れば深山の鮎だ。

 支那の料理書に、甘にして薄ならず、というのがある。鮎の味品はまことにこの言葉をシンボライズしているのではあるまいか。
 その食感を想えば、我が肉虜《にくりょ》ひとりでに肥えるを覚えるのである。
 激湍《げきたん》に釣ろう。そして、夕食の膳に一献を過ごそうではないか。



底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
   1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
   1951(昭和26)年8月発行
初出:「釣趣戯書」三省堂
   1942(昭和17)年発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年5月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング