七、八寸の大型の鮒だ。続いてまた当たりだ。
 こうして、鮒を一貫目近くも釣ったと言うのである。
『お前は、面白い餌を発見したな』
『うん』
 小伜は、甚だ得意だ。
 そこで、私は考えた。鮒が好んで食う餌ならば、はや[#「はや」に傍点]も食わぬというわけはない。新餌というものは、どの魚からも歓迎されるものだと気付いたのである。
 その翌朝早く起きて、畑から数多い桑の虫を捕ってきた。折りから日曜日であったので、小伜を伴って、利根川の備前堀淵へ行った。いつも山ぶどうの虫や、蛆《うじ》を餌にしてはや[#「はや」に傍点]を釣るのであるけれど、この朝は桑の虫だけを餌につけたところ、はや[#「はや」に傍点]の嗜好に適したか、素晴らしい大漁をした。伜に、はや[#「はや」に傍点]の脈釣りの鈎合わせの呼吸を伝授したのも、このときであった。伜はこのごろ、はや[#「はや」に傍点]釣りには一人前の腕になっている。
 そんなことがあってから、今度は笹の葉の虫を使ってはや[#「はや」に傍点]釣りを試みた。これも、甚だ成績がよろしい。笹の葉の虫は、笹の葉を筒に巻いて糸で絡げ、なかに棲んでいる。やはり、桑の葉の虫と同じ位の大きさの、青い虫だ。
 私の伜は、私と同じように釣りが好きである。それは、三歳のときから釣りに連れて行ったためであるかも知れない。
 もっとも、三歳であったから竿は持たせなかったが、幼い伜は奥利根の寒風の河原を、よちよち歩きながら、私の釣りする姿をながめていた。その後、鮒釣りにも泥鰌《どじょう》釣りにも伴って行った。六、七歳の頃になると、鰻の穴釣りに、私のうしろを魚籠《びく》をさげて歩いた。赤城山麓の方から、榛名山麓の細流まで、二人で鰻の穴を捜し歩いた。前橋の敷島公園に続く清水の穴で釣った大鰻のことは、いまでも忘れられないでいる。
 私は、伜が中学生になっても、暑中休暇がくると、釣りの供をさせている。昨年の夏は、大井川から天龍川へ、京の加茂川の上流へ。四国へ渡って仁淀川、新荘川、吉野川へ。さらに、紀州の熊野へ入って熊野川の日足《ひたり》で、一ヵ月を鮎の友釣りに釣り暮らした。父子づれの釣り旅は、まことに楽しいものである。
 今年の夏は、越後の魚野川で二人は釣り暮らした。小出町に、浦佐に、六日町、五日町地先に大鮎を追った。さらに、一昨年の暑中休暇には、茨城県|西金《さいがね》の久慈川へ
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