うことになると、相当に費用がかゝるものぢや。その方のことは、どうするつもりぢや」
「それは、私らに心当りもございます」
話がこゝまで進んで、瀬越憲作はやうやく安堵したのであつた。
この会見が、呉清源日本渡来の橋掛けであつたのである。
さて呉清源はどこへ行くであらうか。終戦と同時に、彼の国籍は中国へ帰つた。と同時に、彼自身も生れ故郷の中国へ帰り住むつもりであつたらしい。また一昨年頃まで、彼はいよ/\中国へ帰るといふ噂も伝はつてきた。
しかし、中国は終戦と共に共産党がはびこり、蒋介石の天下でなくなつた。北京も、上海も地獄図である。呉清源の帰る故郷ではない。人民はラヂオも、マージヤンも取り上げられてしまつてゐる。碁盤などに向つて閑日月を貪つてゐれば殺されてしまふかも知れぬ。呉が十五歳にして、当時の名人本因坊秀哉に二目を置いて勝つたとき、北京の一新聞は大いに喜んで、
呉清源到東以来、与日本三四段名手対局輒勝、布置謹厳、守堅攻鋭、且才思敏捷、落子甚遠、対方名手往々沈吟低徊、呉則信手招来、少仮思索、以故天才之名、轟動三島。
かういふ記事を掲げてはやしたてたことがある。今は北京に、そんな
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