れにぞつこん凝つてしまつた。日参り、夜参りである。師匠の瀬越や、中国から吾が子の保育に行を共にしてきた母堂舒文もこれには呆れて、拝み屋などに凝つたところで、なんのためにもならないから、やめてくれといくら頼んでも彼はいつかな耳を藉さない。
両国の拝み屋には、一人の美しい姪があつた。拝み屋は、この姪と呉清源とを結婚させようと考へた。そのころ、呉は二十七、八歳、姪は二十一、二歳であつた。拝み屋は、呉清源を口説いた。彼は拝み屋から口説かれるといやとはいへない。結婚を承諾した。
これには、母舒文も瀬越も、生駒※[#「皐+羽」、第3水準1−90−35]翔も真剣になつて反対した。彼はこの反対にも従はない。つひに、結婚式をあげてしまつたのである。
母舒文にとつて呉清源は可愛い末の男の子である。子供が年頃になつたならば、故郷の中国から嫁を迎へ、中国の習慣のなかに家庭生活を営んで、余生を送らうと考へてゐたのに、子供が日本人と結婚したのでは日本に住む楽しみを失つたといつて、そのころ南京に住んでゐた長男の、呉浣の許へ帰つて行つた。
さて、話はそれからである。呉が凝つてゐる両国の拝み屋は、いろ/\策略は持つてゐるけれども、神様がかつたところがない。つまり、それは下手な拝み屋といふことである。従つて、呉清源のほかに狂信者がまことに少い。それでは、拝み屋としてはしやうばいにならない。御賽銭や献金も少いから、生活にも影響してくる。なんとか考へねばならぬ。
一体、新興宗教といふものは教祖が男であつては役柄にはまつてゐないのである。天理教でも、大本教でも、なんとか教でも、すべて新興宗教の祖は女であつた。女ならでは夜のあけぬ新興宗教界である。さればといつて両国の拝み屋は女に変装して世に出るわけには参らないのだ。
当時、神戸に奇言奇行を巧にする年増女がゐるといふことを伝へきいた。これを東京へ連れてきて、吾が家の教祖に仕立てたならば当るかも知れないと考へた。直ぐ拝み屋は神戸へ走つて行つて交渉してみると、年増女は、ぢやの道は蛇であるから、東京行を二つ返事で承諾した。両国へ伴つてくると、拝み屋は我が家の教祖に祭り上げ、且つ又内儀といふ境遇をも与へ、熱心に奇言奇行に研きをかけさせると、一つぱしの教祖姿に出来上つたから、世の中にデヴユーさせた。これが、即ち璽光尊の本体である。
璽光尊の本体を解剖して細叙すれば際限がないからこの位にして止めて置くが、拝み屋さんが年増女を教育して、あらぬことを口走らせると、これが大いに当つた。そこに拝み屋の伯父さんが璽光尊の内閣総理大臣、呉清源が幹事長、呉の嫁さんが巫女の取締役といふ役割を作つて各地に出開帳を行ふと、図に当つて素晴しい人気を集めた。角力の双葉山が旗将となつて尾《つ》いてきた。
以上の経過で、呉清源は璽光尊を妄信したわけではない。たゞ単に、妻の伯父に義理を立てて日本各地を歩き廻つただけである。しかし呉清源は、今後どこに新興宗教を求めて歩きだすか、それはほんたうに分らない。彼は若いときから道教を学んで、どこかで仙人にめぐり会ひたいと日ごろ念願してゐるからである。
四谷信濃町に在る犬養木堂の邸を、ひよつこり日本棋院の重鎮瀬越憲作が、同じ七段の岩佐※[#「金+圭」、第3水準1−93−14]と共に訪れた。爽凉の気、外苑あたりの叢園に漂ふ昭和二年の秋の一日である。
「諸君ひさ/″\ぢやの」
「大分御無沙汰でございました」
「時になんぢや、重鎮が二人顔を揃へてやつてくるちふのは――」
「実は突然ですが、先生に一骨折つて頂きたいことができましたので――」
「ふん、さうか。わしは、七段二人腕を揃へて都合十四段のおいでからに、強豪犬養をとつちめに来よつたかと思つた。あつは……」
木堂は、政界に於ける有名な棋家であつたのは誰も知つてゐる。
「はゝゝゝ。ところで、その御骨折願ひたいといふのは、このたび支那で棋道の天才少年を見つけましたのです」
かう、いつたのは瀬越七段である。
「ふん」
「それは呉清源といつて、いま北京に住んでゐる今年十四歳の少年ですが、棋聖秀策の少年時代に似たやうな天稟の棋力を持つてゐます。このほどこの少年が打つた棋譜を三局ばかり調べてみましたがその天分の豊かなのに、吾々専門棋士仲間でも驚いてゐるやうな次第でございます」
「なるほど、それは耳寄りぢやな」
「そこで、その少年を日本へ呼び寄せてみつちり仕込んで物にしてみたいと思ふのです。ですが当方に有力な背景がないといふと向ふの親達が安心して、遠い日本へ旅はさせまいと思ふのですが――」
「それも、さうぢやの」
「ところで、先生に一筆、北京の芳沢大使の許へお願ひ申して、芳沢大使から少年の親御に修業を勧誘して頂いたら、どんなものかと存じますが――」
「それはたやすいこと
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