ぢや、ぢやがの、連れてきて果してものになるかな」
芳沢大使は、木堂の女婿である。
「ものになるどころぢやありません。このまゝすく/\と伸びて行けば、どこまで行くものか見当がつきません。世の中に所謂天才少年といふのはいくらもありますが、こんなのはちよつと類がないといへませう」
「ふん、なるほど、するとぢやな、その少年が貴公らの予想通りに伸びて行くとすれば、将来は名人になれるかも知れんちふのぢやな」
「ほんたうに、なれるかも知れません」
「よし、それはよく分つた。しかし、そこでぢやな、もしその少年がめき/\と育ちよつたら、結局将来は貴公等がやられる時代がくるのぢやないか。日本の棋界が中国の少年に抑へられたとあつてはどんなものかな。貴公等はどう思ふ」
「いゝえ、芸道に国境はございません。世界のどの国の人が名人上手になつたところで、私らは大いに歓迎したいと思つてゐます。」
「えゝ覚悟ぢや。技芸に携る人は常にその精神を持つちよらにやいかん。それでこそ、芸の道は発達するのぢや」
かういつて、木堂は莞爾とした。
「はい」
「たやすいことぢや、一骨折る。ぢやがな、外国から人を呼んでそれを面倒みるちうことになると、相当に費用がかゝるものぢや。その方のことは、どうするつもりぢや」
「それは、私らに心当りもございます」
話がこゝまで進んで、瀬越憲作はやうやく安堵したのであつた。
この会見が、呉清源日本渡来の橋掛けであつたのである。
さて呉清源はどこへ行くであらうか。終戦と同時に、彼の国籍は中国へ帰つた。と同時に、彼自身も生れ故郷の中国へ帰り住むつもりであつたらしい。また一昨年頃まで、彼はいよ/\中国へ帰るといふ噂も伝はつてきた。
しかし、中国は終戦と共に共産党がはびこり、蒋介石の天下でなくなつた。北京も、上海も地獄図である。呉清源の帰る故郷ではない。人民はラヂオも、マージヤンも取り上げられてしまつてゐる。碁盤などに向つて閑日月を貪つてゐれば殺されてしまふかも知れぬ。呉が十五歳にして、当時の名人本因坊秀哉に二目を置いて勝つたとき、北京の一新聞は大いに喜んで、
呉清源到東以来、与日本三四段名手対局輒勝、布置謹厳、守堅攻鋭、且才思敏捷、落子甚遠、対方名手往々沈吟低徊、呉則信手招来、少仮思索、以故天才之名、轟動三島。
かういふ記事を掲げてはやしたてたことがある。今は北京に、そんな
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