叙すれば際限がないからこの位にして止めて置くが、拝み屋さんが年増女を教育して、あらぬことを口走らせると、これが大いに当つた。そこに拝み屋の伯父さんが璽光尊の内閣総理大臣、呉清源が幹事長、呉の嫁さんが巫女の取締役といふ役割を作つて各地に出開帳を行ふと、図に当つて素晴しい人気を集めた。角力の双葉山が旗将となつて尾《つ》いてきた。
 以上の経過で、呉清源は璽光尊を妄信したわけではない。たゞ単に、妻の伯父に義理を立てて日本各地を歩き廻つただけである。しかし呉清源は、今後どこに新興宗教を求めて歩きだすか、それはほんたうに分らない。彼は若いときから道教を学んで、どこかで仙人にめぐり会ひたいと日ごろ念願してゐるからである。

 四谷信濃町に在る犬養木堂の邸を、ひよつこり日本棋院の重鎮瀬越憲作が、同じ七段の岩佐※[#「金+圭」、第3水準1−93−14]と共に訪れた。爽凉の気、外苑あたりの叢園に漂ふ昭和二年の秋の一日である。
「諸君ひさ/″\ぢやの」
「大分御無沙汰でございました」
「時になんぢや、重鎮が二人顔を揃へてやつてくるちふのは――」
「実は突然ですが、先生に一骨折つて頂きたいことができましたので――」
「ふん、さうか。わしは、七段二人腕を揃へて都合十四段のおいでからに、強豪犬養をとつちめに来よつたかと思つた。あつは……」
 木堂は、政界に於ける有名な棋家であつたのは誰も知つてゐる。
「はゝゝゝ。ところで、その御骨折願ひたいといふのは、このたび支那で棋道の天才少年を見つけましたのです」
 かう、いつたのは瀬越七段である。
「ふん」
「それは呉清源といつて、いま北京に住んでゐる今年十四歳の少年ですが、棋聖秀策の少年時代に似たやうな天稟の棋力を持つてゐます。このほどこの少年が打つた棋譜を三局ばかり調べてみましたがその天分の豊かなのに、吾々専門棋士仲間でも驚いてゐるやうな次第でございます」
「なるほど、それは耳寄りぢやな」
「そこで、その少年を日本へ呼び寄せてみつちり仕込んで物にしてみたいと思ふのです。ですが当方に有力な背景がないといふと向ふの親達が安心して、遠い日本へ旅はさせまいと思ふのですが――」
「それも、さうぢやの」
「ところで、先生に一筆、北京の芳沢大使の許へお願ひ申して、芳沢大使から少年の親御に修業を勧誘して頂いたら、どんなものかと存じますが――」
「それはたやすいこと
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