年前藤原は鐘紡の津田の向こう脛をかっ払っておいて、支那の草を買ったことがある。まことに、抜け目のない商工大臣でもあろう。
 貴田耘平が『産業問題』を提げて演壇へのぼって行った。あごの鬚髯《しゅぜん》は、随分白くなったが、なかなか元気だ。明治四十三年の晩秋、私が宇都宮へ遊びに行ったときには、まだ高田は県会議員をやっていて、鬚髯は黒かった。当時、高田は宇都宮の花柳街にこもつこ[#「こもつこ」に傍点]家というのがあって、そこの抱え妓の小玉と呼ぶ甚だ小柄な若い子を後援していたが、この元気ではいまでも若い子を贔屓《ひいき》にする実力を持っているかも知れないのである。
 そんなことはどうでもいいが、高田は身のほどを知っている。百姓議員だという自覚をもって百姓議員で押し通し、農村問題一点張りでやってきて、とうとう偉くなった。へたに当世向きのことを喋りたがらぬところに、見どころがある。産業問題の質問などというのは、甚だ派手でない。しかし、聞いていると高田の言説にはなかなか滋味がある。無機肥料には価格統制をやったが、有機に価格統制をやらぬのはどういうわけであるかとか、家鶏や豚の飼料まで心配するのは高田でなければやれないところだ。
 最後に農業資材確保のことで藤原銀次郎をでかい声でおどかした。おどかされると藤原はひょこひょこと演壇へ出てきて、ぺこりとお辞儀をした。これが、きょうの第一等の余興であった。高田は、一種の風格を持っていて面白い。
 高田に答えたのが、島田俊雄だ。この人間の態度と答弁が、最も要領を得ていると思った。百戦錬磨の功がある。米価は今後決して引き上げないと、きっぱりいってのけた。ほかの大臣は、何事も口の先でごにゃごにゃと国民に分からせないようにいっているけれど、島田は国民の気持ちのあるところを、しっかり掴んでいる。日本人は曖昧なことがきらいなのだ。右とか左とか、はっきりいって貰えば、それであきらめる民族だ。

     下

 勝正憲は、まだ官僚臭が抜けきらない。電力問題で誰かの質問に答えて、軽々に諸君が考えているような簡単な問題じゃない、などと口を滑らして、尻っ尾をつかまえられた。
 勝の眼から見れば、議員どもが人民どもに見えるのは当たり前だ。傍聴席から見ても、議員どもは人民に見えるから。
 それから木暮武太夫が経済問題をしゃべりだした。前橋中学で、木暮は私の後輩であ
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング