心痛、悲哀の状を真っ黒い背中に現わして、雌の傷口から流れ出した鮮血で真っ赤になった海上を、おろおろと徘徊する。そこで砲手は人情を出してはいけない。続いてズドンと雄に一発喰わせる。まず、雌を撃ちとって置けば、一漁に二頭を獲るのは定跡《じょうせき》となっている。鯨の鼻の下の幅を計ったことはないが、人間の男と大差はないらしい。
 また、甚だ物のあわれをとどめるのは、離れ抹香《まっこう》という奴である。抹香鯨というのは、一頭の雄を二、三十頭の雌がとり巻いて、大群をなして洋上を泳いでいる。ところで、一つの大群と一つの大群が遭遇したら大変なことになる。双方の群れの中から、大きな雄が躍り出して死闘をはじめる。結局、一方が負けるとそれについていた二、三十頭の雌は、悉く勝った方の抹香鯨の群れに投じてしまう。
 負けた雄鯨は、一人ぽっちになってしまうのだ。何と情けない雌どもでしょう。これを離れ抹香というのだが、一人ぽっちになった雄鯨は、ほかにも雌から嫌われた雄があるとみえて、大きな雄ばかりが七、八頭群れをなし、雌をまじえず仲よく泳いでいることがある。

     四

 夕飯のときがきた。
 甚だ不躾《ぶ
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