猛毒が一番に多量に入っているのは、河豚の胸鰭の下の皮膚についている寄生虫である。これを蝶々と言っている。河豚の皮膚と同じ灰色であって、大きさは犬のダニくらいある。一匹の蝶々を、鶏に与えるとその場で死んでしまうくらい猛毒の持主だ。だから河豚料理のうち、皮はよほど注意しないと間違いが起こりやすい。
次に、雌河豚の卵巣もいけない。卵巣を普通マコと言っている。薄墨色で肝臓と間違いやすくもしこれを食えば即死だ。けれど、これは婦人病には特効があるというので、日陰干しにして売っているところがあるが、味はからすみに似てそれ以上であるというから酒の肴には絶好の品であろうけれど、恐ろし恐ろし。よく干したものを削って耳掻きに一杯飲むと、身体自ら熱温を生じ性気昂進して、琴瑟《きんしつ》相和するところの奇薬であるという。
抱肝も恐ろしいものの一つだ。抱肝は河豚の肺臓であって、肩胛骨の下側についている。これは必ず捨てねばならないのである。それから青い色の胆嚢、赤黒い色の胃袋も警戒ものだ。血液は、毒の源泉だからこれが一滴ついていても洗い落とす必要がある。
七
河豚の肉皮、五臓のうち最もおいしいのが肝臓だろう。甘味、豊饌《ほうせん》とは真にこのことである。食っているうちに五体の骨がゆるむかに覚え、神気陶然としてくる。茶色をしていて柔らかい。
それから、雄河豚の睾丸が素敵に珍味だ。白子と言ってちり鍋によく、味噌汁にいい。河豚ぎらいの尾崎行雄老が先年別府で、この白子を豆腐であると言って食わされ、その珍味に感嘆して次の旅行先下関で、あの丸い輪切りの豆腐を出せと言って請求したところ、それは河豚の睾丸であろうという説明を聞き、胆を冷やしたことがある。
嘴の肉を、鴬と言う。これは場所柄だけに肉の量は少ないが甚だおいしい。腹壁の肉をトウトウミと言うが、これはみかわの隣という洒落《しゃれ》らしい。腮もうまい。白く半透明で、清快な感じを持つ。腸は茶色で親指大の太さがあり、葱の株を詰めて輪切りにして食うと頗る乙だ。皮は青灰色で、腹部の方が黒いのである。骨つきは、中おちに沢山肉をつけたのを言うのであるが、随分からだが温まる。笹身は刺身にして食う。だが、ほんとうに[#「ほんとうに」は底本では「ほうとうに」]河豚を好む人からいうと五体のいずれのところよりも味は劣ると思う。鰭は、鰭酒をつくる。昔から、河豚の鰭を焼いて酒中に投ずれば、悪酒変じて良酒になると言われているくらいであるから、よほど魔力を持っているに違いない。鰭酒の一杯は、人間の血管燗熟して妖気を発し、全身を乳湯のうちに浸けたように温気が湧いて、わが肉皮がゆるむと称されているほどだ。
兵庫県の加古郡高砂町の漁師は、なかなか河豚料理が上手だという話だが三浦半島の鴨居でも房総半島の竹岡でも、鯛釣りに行って鈎に河豚が掛かると漁師はすぐ料理して食わせる。まず、頭を向こうに向けて腹を上にし、右手に握り、糞落から庖丁を入れて下唇にかけて割き開き、腮、内臓を取り出しておいて皮を引き、肉を落とすという順序になる。そして柳刄で刺をそぎ落とし腮は出刃で血を抜きとる。腸は抜いて血を去り裏返してまた血をとる。脊骨のなかの血は針金を通して掃除し、肝臓は薄皮を剥ぎ賽の目にするのだが、血管の血を去るには塩を厚くまぶすのである。塩は血を吸いとる性質を持っている。そして洗ってさらに水に幾度か晒すのだ。トウトウミは、一種のゼラチン分だから剥ぎとって塩で血を抜き、白子つまり睾丸と笹身とは毒が少ないから、水洗いしたばかりでそのまま食える。河豚の肉は、かまぼこに入れると素晴らしくおいしくなる。伊予のかまぼこには、この肉が大分入っていて人から珍重され、これも河豚嫌いの犬養木堂が、それとは知らずいつも伊予からかまぼこを取り寄せて食っていたところ、そのかまぼこのおいしい理由を説いて聞かされ、急にかまぼこがきらいになったという話がある。
姫柚子《ひめゆず》の汁で、チリを食うとおいしい。刺身の醤油にもこれを入れれば、一層快味を増す。紅葉おろし、さらし葱、わけぎの薬味。それから加役として豆腐、茄子、新菊など。もう、冷涼の秋がきた。ちり鍋、すき焼き鍋、雑炊鍋。思い出しただけで、舌端に魔味迫り来たるを覚える。
きょう、上総の国、竹岡の漁師から肥った河豚が釣れはじまったという報せがあった。
[#地付き](一四・一〇・六)
底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozo
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