僕の会社のキャッチャーボートが四、五艘、いま牡鹿半島の鮎川港を根拠地としていて、毎日金華山沖で盛んに捕鯨をやっている。僕は、近いうちにそれを視察に行くことになっているから、君も一緒に行ってみないか。そこで、鮮鯨の肉の素晴らしいのをご馳走しようじゃないか、というような訳になった。
よし、万障繰り合わす。
さて、このほどいよいよ金華山沖へ漕ぎ出すことになった。仙台から牡鹿半島の突端まで二十五、六里、その間の山坂ばかりの長い道中を、スプリングの弾力が萎《しな》びてしまったバスに揺られて漸く鮎川の町へ着いてみると、馬鹿に臭い。
町へ入る少し手前の、切り通しの坂までくると自動車の窓から吹き入る風が、呼吸がつまるように臭いのだ。生まれてはじめて鼻が経験する臭いだ。町へ入ると家、道、庭木、草、川、人間、犬、電信柱なんでもかでも臭い。この臭いは何だと問うと、これは鯨の臭いだと友人は答える。
これはひどい。素晴らしい鮮鯨の肉は、こんな窒息的の臭いを出すものか。こんな訳なら遙々《はるばる》こんなところまでくるんじゃなかった。と言うと、友人は、いやこれは腐った鯨肉の臭いだ。鮎川の町の人はどの家でも膠《にわか》や肥料をとるために鯨の肉を細かく刻んで、庭や路に乾して置くがそれが腐って、こんな臭いを発する。
それがために、あの臭いものなら何にでも集まってくる蝿でさえ、あまりにその臭いの強烈なのに驚いて、この鮎川の町から悉《ことごと》く逃げ出してしまった。けれど、いきのいい鯨肉は、こんなに臭いものではない。
二
それで安心した。
その夜半十二時、私らは第二京丸というキャッチャーボートに乗って鮎川港から金華山沖へ出た。三百二十トン、軽快な船である。
眼がさめると、朝七時。船は金華山から百二十五|哩《マイル》の太平洋を走っている。洋上一面の濃霧で、三、四町先も見えないくらいだ。展望がきかないから鯨はおろか鴎《かもめ》さえ見えないのだ。
霧の流れる船橋に集まって、船長から鯨の話を聞く。
鯨には抹香《まっこう》鯨、槌《つち》鯨、つばな鯨、白鯨、ごんどう鯨、白長鬚鯨、長鬚鯨、鰮《いわし》鯨、座頭鯨、背美《せみ》鯨、北極鯨、小形鰮鯨など大分変わった種類があり、すなめり[#「すなめり」に傍点]、いるか[#「いるか」に傍点]、さかまた[#「さかまた」に傍点]などがその親戚になっ
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング