州児玉郡大幡から、嫁のきみを入れた。利根川の対岸宮郷村から嫁にきた裕八郎の妻ふゆは、孫清一が結婚する二年前の、大正十三年に一生を終わっている。
嫁のきみが、昭和三年に男の子を生んだので、雅衛のところへ十七歳でよめにきたみよは、四十四歳ではじめて祖母になった。嫁が子供を生むと母のみよは、当家に伝わる運命の日がやがて来るのであろうことを予知して、息子清一の一挙一動に注意を怠らなかった。村の鎮守さまはもちろんのこと、信州の善光寺さまへも、紀州の高野山へも一家安泰を願かけた。賢彌となづけた孫が二歳となった春など、自ら旅支度を整えて、善光寺から越前の永平寺へ、京都の神仏を歴詣し、高野山から伊勢大神宮へ出て、成田の不動さままで頼んで沼之上の家へ帰ってきた。
しかし、その甲斐はない。
祖父の裕八郎が家出したと同じころの秋がきたとき、これもまた掻き消すように長屋門の前から姿を消した。祖母のみよは、狂気のようになって悲しみ、清一や清一やと、毎日泣き叫んだが、詮ないことであった。
どの嫁もどの嫁も必ず男の子を生むこと、その子が二歳になると必ず当主が家出して、行衛不明となるということが、この近郷近村
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