年の行衛《ゆくえ》などまるで尋ねあてる由もなかった。
石坂家では、その後儀右衛門の捜索を思い止まった。それから二十年ばかりたって、坊やの裕八郎は二十一歳になった。その秋、母の許しを得て上越国境の四万温泉に遊び、十日間ばかりの田村茂三郎旅館に滞在して沼之上のわが家へ帰ってきた。その時はもう、明治十二、三年になっていたのである。裕八郎は日ごろ名勝旧跡、神社仏閣などを探るのが趣味で、読書も好み甚だ快活な生活の持ち主であったが、四万温泉の旅から帰ってくると、急に人柄が憂鬱になったのである。青年らしく肥った茶色の皮膚は、次第々々に痩せて顔が蒼ざめて行く。母は一粒種のわが子のからだの衰え行くのを見て、ひどく心痛して明け暮れ、その原因について尋ねたけれど、裕八郎は黙してなにも語らない。鼻下や顎に、無精髭さえ生えてきた。日ごろ身綺麗にするのを好んだが、その気持ちも忘れたのであろうか。
そのまま、一、二年過ぎた。母は、嫁を迎えてやれば息子の気持ちが子供の時のような明朗に返るのではあるまいかと考えて、結婚談を持ちだした。ところが、裕八郎はこれに反対するのでもなければ賛成するのでもなかった。ただ黙々とし
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