に似た彩が動き、やがてそのかげが淵の面に映した月の光を乱すと同時に、朦朧として水上に女の姿が立った。岩魚の精。
 水の上を水際に近づいてくる女の容を見ると、初夏のころには露ほどもなかった窶《やつ》れが、頬や肩のあたりに現われている。この窶れのためか、相俣岩魚の姿は、ひとしお妖しく美しい。
 この姿を見て、老猿は微笑んだ。
「ちかごろ、具合はどうじゃの」
 と、巌の上から水際の岩魚に問うた。
「はい、ありがとう存じます」
 緑の黒髪が、水際の小波にゆらゆら揺れる。
「焦ってはいかんな、あははは」
 老猿は、高く笑った。
「でも――」
 岩魚の精は、羞《はずか》しそうな姿態をつくったのである。
「気を揉んだところで、時節がめぐってこなければ駄目じゃちうのは、お前さんも承知じゃろうがな」
「さ、それはそうですけれど――」
「あれはどこへもいけない人間じゃ、必ずお前さんの懐《ふところ》のものになるのは分かっているじゃろう」
 老猿は、慈心に富んだ表情で巌の上から岩魚を見下ろしているのである。魚精は痩せた顔に澄んだ眼をあげ、老猿を仰いだ。
「石坂の家は先祖代々、息子が嫁を迎え、その嫁が一人の子供
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