寒鮒
佐藤垢石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)措《お》いて
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 静寂といおうか、閑雅といおうか、釣りの醍醐味をしみじみと堪能するには、寒鮒釣りを措《お》いて他に釣趣を求め得られないであろう。
 冬の陽《ひ》ざしが、鈍い光を流れにともない、ゆるい川面へ斜めに落として、やがて暮れていく、水際の枯れ葦の出鼻に小舟をとどめて寒鮒を待つ風景は、眼に描いただけで心に通ずるものがある。舟板に二、三枚重ねて敷いた座蒲團の上に胡座《あぐら》して傍らの七輪に沸《た》ぎる鉄瓶の松籟《しょうらい》を聞くともなしに耳にしながら、艫《ろ》(とも・へさき)にならんだ竿先に見入る雅境は昔から江戸ッ子が愛好してきた。
 鮒は、秋の半ば過ぎると、水田や細流から大きな流れへ落ちていく途中、充分に餌を採って、やがて暮れ近くなると静かな流れの深いところへ巣籠《すごも》ってしまう。これを狙って釣るのが寒鮒釣りである。
 寒鮒釣りは、岡釣りでもやれるが、舟釣りの方が楽しみが深い。浮木《うき》釣りと脈釣りと二種あって、全く流れのないところでは浮木を用い、緩やかな流れのあるところでは浮木をつけないで穂先の当たりによって鮒が餌に絡まったのを知るのである。
 竿は極めてやわらかいものに妙味がある。八尺、一丈、二丈など、長い竿、短い竿、三、四本を用意して浮木釣りの場合は艫から扇形にならべ、そのかなめに当たるところに釣り人が座して、浮木の動きを凝視するのである。脈釣りの場合は舟の横から流れに対して竿を直角にならべ、穂先の動きが見やすい位置に座するのがよろしいのである。寒鮒の餌に当たる振舞は実に微妙である。実にものやわらかである。だから浮木や穂先の動きも極めて微かであるから、これを見のがすと釣れないことになる。無念無想、微動だものがさじと水面と竿先へ見入るのである。
 仕掛けの全長は竿より五寸乃至一尺長くするのがよかろう。道糸は秋田の渋糸十五本撚りで充分である。鈎素《はりす》は浮木釣りの場合は四寸か五寸で、脈釣りの場合は一尺くらいの長さにする。鈎素のテグスは毛抜きを使用する必要はない、磨きの一厘柄で結構である。錘《おもり》は、流速の様子によって調節するのであるが、一匁から三匁くらいまでの間の錘が水底へつかないほど速い流れには寒鮒は棲まぬものと考えてよかろう。
 餌は、形の小さい色の赤い
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