魚の方が、腕力は勝れているらしい。そこで、山女魚が鰍の産卵場を発見すると、鰍夫婦をその場から追い払って、卵を食ってしまうのではないだろうか。それはともかくとして、奥利根水系の東谷川、薄根川、片品川、赤城大沼の出尻の南雲沢などで、鰍の卵を用い、大いに釣果をあげて喜んだのは、もう幾十年の昔になろうか。
その後、ある年に浅間火山裏山の鹿沢温泉の方から流れでる吾妻川の上方へ、山女魚釣りに行ったことがあった。それは真夏であったが、土地の漁師に、この地方では山女魚釣りの餌に、鰍の卵を使うかと問うてみた。ところが、漁師は鰍の卵などというもの、見たこともない。そんなもの、餌になるのかという答えであった。
そこで、私は鰍の卵の効能を述べたのである。もしこの川に鰍がいれば、必ず山女魚はその卵を好んで食うものであると、つけ加えた。すると漁師は、鰍はいくらでもいると言うのである。
翌年の春、試みにその漁師に一|塊《かたまり》の鰍の卵を送って試してみろと言った。漁師からすぐ返事がきて、素敵な成績である。自分は送ってもらった卵を大切にして、他の漁師にないしょで、ひとり楽しんでいる、というのであった。
それ以来、吾妻川の上流では、鰍の卵を捜してこれを餌に用いるようになった。鰍の卵は塩漬けにして蓄えるか、串にさし陽《ひ》かげ干しにして蓄えるのである。いまは、全国至るところ、山女魚や岩魚釣りの餌に、鰍の卵を使わぬ釣り人はない。
底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
1951(昭和26)年8月発行
初出:「釣趣戯書」三省堂
1942(昭和17)年発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年5月1日作成
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