ができない。また奥州南部地方にも昔から、牛を闘わせることが行なわれたが、ちかごろは甚だ衰微して振るわなくなった。
 だから、闘牛を見物しようとすれば、この越後の国へ旅するほかないのだ。幸い、この八月十七日に二十村郷の竹沢村に六十頭の前頭、大関、横綱級の巨牛が出場して、火花を散らして闘うことになっているから、ぜひ案内したいものだ。スペインの闘牛は、人間と牛との戯戦でその振舞にどことなくケレンを感ずるという話であるが、越後の闘牛は、牛と牛とが真剣になって闘うのであるから、八百長などというのは、微塵もない。相手が斃れるか、逃げ出すか。とにかく、そのままにして置けば、死線を越すまで体力と角とで搏《う》ち合うのであるから素晴らしく豪儀である。激しい闘いになると、手に汗を握り、わが心臓が止まりはしないかと思うほど見物人は興奮するのである。
 どうです、一度見物して置きませんか。決して、無駄ではないでしょう。
 ふふむ、なるほど。

  二

 八犬伝といえば、少年のころ私は、夜更けるまで読み耽って母に叱られたことがある。その記憶を辿ってみると、あったあった。
 強豪犬田小文吾が、毒婦舟虫を追って、古志国古小谷へ旅したとき、たまたま二十村郷の闘牛見物に行き、肩丈四尺七、八寸の虫齋《むしかめ》村の須本太《すほんた》牛と、四尺六寸の逃入《にごろ》村の角連次《かくれんじ》牛とが角を合わせ、乱闘が死闘となり、ついに牛方の青年がこれを引き分けようとしたが、牛は暴れて人を突き、人を踏み、被害甚大。
 見物人は蜘蛛の子を散らすように逃げだして、このまま捨て置けば幾人人間があやめられるか分からぬ危急の状景を示してきたので、小文吾は矢庭《やにわ》に闘牛場へ飛び下りた。そして荒れ狂う猛牛の間へ分け入り、むんずと両獣の角を、右手と左手に掴んで、えいとばかりに引き分けてしまったその剛力。あまたの見物と牛方は、この光景を見て、ただ小文吾の金剛力に驚くばかり。
 馬琴は、そのときの状景を――曳《えい》とかけたるちから声と共に、烈しき手練の剽姚《はやわざ》。左に推させ、耶《や》と右へ、捻ぢ回したる打擂《すまひ》の本手《てなみ》に、さしも悍《たけ》たる須本太牛は、鈍《おぞ》や頑童《わらべ》の放下《ほか》さるる猪児《ゐのこ》の似《ごと》く地響《ぢひびき》して※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]と仰反り倒
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