おうか』
と言った。乗気になってきたらしい。
『やってみよう――だがね、縁談は水物というから――』
『頼む』
五
こう私は引き受けたけれど、その後俗事が忙しかったので、房州へ出向くことができないから手紙で往復して写真交換というところまで漕ぎつけた。もちろん、私はさきに房州から持って帰った妹の写真を、山岡に見せたところ――よろしい、可もなし不可もなし。というところだろう――という世間並みの気持ちを山岡から聞いているのだから、もうここに至っては、こちらから山岡の写真を送ってやるだけでよろしいのだ。
山岡の写真ができた。見ると、なかなか立派にできている。半身像であるから、上背のところは分からない。モーニングを着て、反《そ》り返っているところ、眼鏡をかけた肥った顔など、まことに鷹揚に写っている。
――これなら、大丈夫だ――
と、私は感心した。写真屋というものは、商売とはいいながらうまいものだと感服した。
房州へ送った山岡の写真は、兄から東京の妹へ送られ、妹からさらに折り返して兄に意見が申し送られたのだろう。私に対する森山さんの挨拶には、
――大分立派な御方《おかた》である。年頃はひどく老人という訳ではないから、いよいよ話を進めたいと思う――
と書いてあった。ついに、戸籍謄本の交換となった。これにも両者に異存がない。こう話が進めば次は見合いの段だ。これで、事がうまく纏《まとま》れば、私は人間としての役目の一つが果たせるか、と思って一種言い現わしようのない興味も伴って、心が長者になったような嬉しさ、賑やかさを感じた。
だが、見合いが難関だ。縁談は、見合いまで漕ぎつけて破れるのが多い。この縁談も、それと同じに世間並みであって貰っては困る。山岡は世間並みには珍しい格好の男であるし、森山さんの妹も、写真はいいとして噂によれば自信をもって山岡に推薦はできなかったのだ。あれこれ考えると、何としても不安でならぬ。けれど、縁は異なもので案ずるより生むがやすい、ということになるかも知れない、などとたかをくくってみたりした。
――双方に自惚《うぬぼ》れがなく、己れを知っている人達ならば、万歳だ――と、考えた。
見合いの場所は両国駅の入口、時間は午前十一時。森山兄弟の方が先に駅の入口のところに揃って待っているから、こちらは山岡を連れて揃って行く。そこから四人打ち揃って、どこかへ昼餐を食べに行こうという手筈になったのである。
約束の日は、土用に入る前のかんかんと照る焼きつくような暑い日であった。山岡は、例のモーニングを着用し、髭も剃りネクタイも新しいのを結んで出てきた。二人は、円タクに乗って両国駅の前の曲がり角まで行って降りた。
私は、遠くから駅の入口の人混みのなかを物色した。いる、いる、兄妹二人で、駅前の庭の方を人待ち顔に眺めている。
『いるか』
と、山岡は及び腰できくのだ。
『いる。あすこに二人で待っているが、ここではまだ君には分からない』
山岡と私の二人は、緩やかに駅の入口の方へ歩いて行った。十五、六間前まで近寄ると、兄妹二人の眼は動揺した風である。顔や容《いろ》が色めき立った。まず、森山さんが私を発見し、私と並んで歩いてくる山岡を、それと睨んで妹の袖を引き、電光の如き敏捷さで眼配せしたに違いない。
私は妹さんの顔を見た。森山さんと、瓜二つである。丸い顔に、剥げるかと思うほど厚くつけた白粉が、額から流れ落ちる汗に二筋、三筋溶けて、蚯蚓《みみず》のように赤黒い肌が現われている。低いからだを袂《たもと》の長い淡紫紅の夏羽織に包んだところは、まるで袋にでも入ったようだ。髪の毛はあかい、手は黒い。何と、お粗末の婦人だろう。一町もさきの遠方から森山さんを認めたとき、その傍らにいるのが、妹さんであろうと直感したのは、当然だ。
『あれだ』
と、私は小さく囁いて山岡の顔を見ると、山岡は俄《にわか》にぷんとして形容のし難い苦い表情をしたのである。山岡も、逸《いち》早く彼の女の姿を認めて――あれだな――と、判断していたらしい。
私は、山岡を捨てておいて、森山さんの傍らへ歩いて行って、挨拶も抜きにして、
『あの紳士です』
と、囁いた。森山さんは、口の中で何か言ったが私には聞きとれなかった。そして兄妹顔合わせて、これも名状し難い表情をするのである。私は刹那《せつな》に――これは、いかん――と、思った。けれど、私は何食わぬ顔を、漸く装い作って、
『ご飯たべるところ、どこにいたしましょうか』
こう、問いかけた。すると、森山さんはひどく不満らしい低く刺のある声で、
『きょうは、これでご免蒙ります――大へんご苦労さまでした』
と、言ったなり兄妹二人は、後をも見ないで急ぎ足で、駅のなかの人混みの中へ入って行ってしまった。私は呆気《あっけ》にとられた。ところへ、山岡が小走りに走ってきて、これも甚だ語気鋭く私の顔を仰ぎ見て、
『君、人をからかうのはやめ給え』
六
翌朝、山岡から速達のはがきがきた。
――今後、君と絶交する――
と書いてあるだけであった。私は、私の粗忽《そこつ》を悔いた。ああ止んぬるかなと思った。それから一週間ばかり過ぎると、森山さんから手紙がきた。それには、
――差し上げておいた写真と、戸籍謄本とを至急返送して貰いたい。次に、申すまでのこともないが、今後房州へ釣りにきても私のところへは立ち寄ってくれるな――
と書いてある。
つまらない出来心から、二人の知り合いを失ってしまった。下手な親切気など、起こすものではないと私は思った。
ところが、それから十日ばかり過ぎると、絶交状を突きつけてよこした山岡が、突然私の家へ飛び込んできて、
『君、困ったことになったのだよ。この二、三日、毎晩夜半になるとあの女が僕の枕元へ、影のようになって立っているんだ。便所へ行けば、廊下に立っているんだ。腕を伸ばして撲《なぐ》りつけようとすると、もういない。恐ろしくて眠れないんだ――君、何とかしてくれ』
と、蒼《あお》くなって言う。
『それは君、夢か現《うつつ》だよ。君、しっかりしろよ――』
『いや君、ほんとの幽霊だ』
『そんな馬鹿なことが――』
私は魅《み》こまれたような思いがした。
そんなことがあってから数日後、旧盆に仲造のところに僅かなものを贈っておいた礼手紙が届いた。その末尾に、
――一週間ばかり前、森山さんの妹が磯の高い崖の上から海へ飛び込んで自殺しました――
と、書いてあった。これを読んで、
――山岡に、なんの怨みもあるまいに――
と、思ったが、全身の血が頭へのぼったかのように、背中がぞくぞくと寒くなった。
[#地付き](一四・六・二)
底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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