縁談
佐藤垢石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)素封家《そほうか》

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(例)[#地付き](一四・六・二)
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     一

 私のように、長い年月諸国へ釣りの旅をしていると、時々珍しい話を聞いたり、また自らも興味のある出来ごとに誘い込まれたりすることもあるものだ。これから書く話も、そのうちの一つである。
 外房州の海は、夏がくると美しい風景が展開する。そして、磯からあまり遠くない沖で立派な鯛が釣れるのだ。私は、その清麗な眺めと爽快な鯛釣りに憧れて、毎年初夏の頃から外房州のある浜へ旅していた。
 その浜には、旅館というのがなかった。だからある人の紹介で、私はそこの森山という人の家へ泊めて貰うのである。森山という人は土地の素封家《そほうか》で、多くの田畑や山林を財産にして豊かに暮らしていた。大きな母屋に、土蔵が三棟も続き、その間に樅《もみ》と椿と寒竹を植え込みにした庭を前に控えた第《やしき》を私の室にあてがってくれた。まことに居心地のいい部屋である。朝、静かな時には遙かの磯から、岩打つ波の音が聞こえてくるのだ。
 森山さんは、私が釣りから帰ってくると、いつも晩餐を共にするのである。そして、四方山《よもやま》の話に杯を重ねるのであった。二夏も三夏も続けて森山さんの家へ厄介になった。次第々々に二人の交わりは深くなり、ついには親戚つきあいというほどになったのである。
 だから森山さんは、自分の家の先祖の話や、家庭の事情などについても、別段隠すようなことはなく、心安く語るのであった。ある夕、一杯やりはじめたとき森山さんは、いつもとは変わって言いにくそうに、言おうか言うまいか、という態度で語り出すのである。
『あなたに、一つお願いがあるのですけれど――』
『何でもおっしゃってください、私にできることでしたらやりますから』
『ほかでもないのですが、実は私には縁遠い妹が一人ありまして、それにいつも悩んでいるのです』
『そうですか、お幾つになります』
 森山さんは、今年三十九歳であると聞いていたから、その妹であったなら縁遠いといったところで、二十七、八歳から三十五、六歳どまりの婦人であろう、と私は想像した。
『三十四歳です』
『では、えらいお婆さんという訳でもないじゃありませんか』
『いや、田舎では二十三、四歳を過ぎてもお嫁に行けないと、何とかかんとか噂を立てられるのでしてね。それに、母もあの年波の上にからだが弱いものですから、妹の身が片づかないのを明けても暮れても心配しているのです。それを見たり、聞いたりするのが私は何より辛い』
『どこか、ちょうどいいところがありそうなものですね』
『時にはあるのですが、いつも話がうまく纏《まと》まりません――オールドミスを妹に持つと、妹の悩みよりも母の心労を見る方が、よほど気が揉《も》めますよ』

     二

 私は、これまで人から縁談のことについて一度も相談を受けたことがなかった。だが、人間が相当の年輩になれば仲人の二つや三つをして見るのが、娑婆《しゃば》の役目であるという諺のあるのを知っている。森山さんから、この話を聞いて改めて娑婆の役目を思い出した訳だが、その娑婆の役目にこれを機会に取り掛かろうとして思いついたのではなく、森山さんの妹の身の上を気遣う口振りや表情が、いかにも困ったという風であったので、一つ私も縁談の口ききをやってみようかなという、柄にもない親切な気持ちになったのである。
『お妹さんは、いまどちらにいるのですか』
『東京です。女子大の家政科を出まして、青山のある女学校に教鞭をとっていたのですが、芝のあの山泉男爵さんのお嬢さんが教え子だったので、そのお嬢さんが卒業すると、男爵家の懇望でそこの家庭教師になったのです。お嬢さんがお嫁に行ったあとでも、その妹さんや弟さんの面倒を見てくれというような訳で、とうとう今年で八年も居付いているような有様です』
『結構ですな』
『少しも結構じゃありません。なまじ、女子大など出て華族様のところで家庭教師などやっているものですから気位ばかり高くて――その上に別嬪という方じゃありませんから、これまで二、三話があったのですけれど、いつも鶴亀や、になりませんでした』
『そんな立派な学歴や、職業を持っていなさるのですから、どこにでもご縁がありそうですがな――写真でもありましたら預かって置けば、思い当たったところへ話をはじめてみることもできようと思いますが』
 私は、森山さんの家へ二、三年続けて遊びにくるが、妹さんを一度も見なかったのは、いまの話のような次第で、東京にばかりいて田舎はきらいだ、というのであったからである。
『ちょうど、いま生憎《あいにく》こちらへきている写真がありませんから、東京へ言ってやって取り寄せておきます。こんなお願いをしてすみませんね』
『さ、私に縁談ばなしというのが、やれるかどうか――とにかく、この次くるまでに取り寄せておいてくだされば、心当たりがあった時にお役に立ちましょうから』
 と、言ったけれど、別段私にこれという心当たりがあった訳ではないのである。もう、私は眠くなった。話はこの辺で打ちきって寝ることにした。そして、私は床へ入ってから考えた。森山さんの底なしの近眼、にきびの抓《つま》み跡というのでもなければ、毛穴が膨らんでいるという訳でもない。ただ顔にぶつぶつと小さい窪みが無数にあって色が黒い。その上に、上背が五尺あるかなしかの、幅広の体格から想像すると、もし兄さんに似ている妹さんであったなら、女として美しい出来ではないかも知れないと思った。しかし、世の言葉に、
 ――容貌は、吊り合わぬ方が仲がいい――
 という話があるから、女としては最高学府を出ていることだし、ことによったら骨折り甲斐があるかも知れない。こんな風にも思ったのである。

     三

 鯛が鈎《はり》に掛かって、死にもの狂いに海底で糸を引きまわす力の味は忘れられない。殊に淡紅の色鮮やかに、牡丹の花弁をならべたような鱗の艶は、友人に贈っていつも絶讃を博すのだ。
 その趣に惹《ひ》きつけられて、十日ばかり過ぎてから、また外房州の浜へきた。
 森山さんの家では、私を喜び迎えた。その日、一日海上を釣りまわって夕方帰ってくると、森山さんは晩飯のとき、
『届きました。私に似て、とてもまずい女です』
 と言って四角の封筒から一枚の写真を出して、卓袱台《ちゃぶだい》の上へ置いた。私はそれを取ってみた。ところが、私が想像していたところの妹さん――いやこの兄さんには少しも似ていない。鼻筋が通って、丸い顔が色白く写っている。写真のことであるから背丈のことは分からないが、和服に袴がよく似合って、七三におとなしく分けた頭髪はつつましやかに年より若く見える。写真屋がうまくこしらえたところもあろうけれど、これなら満更でもないと私は眺め入った。
『随分美しいお方じゃありませんか』
 私は感心した風に言った。
『いいえ、お恥ずかしいのです』
 と、森山さんは答えたけれど、いささか私の言葉に満足を感じた風でもあった。
『よろしゅうございます――私、預かっておきます』
『どこでも、普通のところであったら、私などはもちろんのこと、妹にも往生させるつもりですから――』
 私は翌日も滞在して、また海へ鯛釣りに行った。船頭は、いつもの仲造といった三十前後の腕達者である。沖へ出て、陸の方を望むと、房総半島の山々を包む緑の林が色濃く昼の太陽に映し浮いている。浜辺の家並みも、微《かす》かに糸に揺れて和やかな風景である。午前中の潮行に、舟を三流し四流し釣って、午後の潮が再び膨《ふく》らみきたる間に、仲造と二人で弁当を食うことにした。
 そのとき私は、ふと森山さんの妹さんのことを、仲造にきいてみる気になった。
『おい船頭さん、お前は森山さんの妹さんを知っているかい』
『知ってます。あの兼子さんが、どうかしただかね』
 と、仲造は持っている弁当箱を、舟板の上へ置いた。
『どうしたという訳じゃないが、大層別嬪だという話じゃないか』
『とんでもない』
 大きな手を横に振って仲造は、
『まるで反対だ。ふた目と見られねえ』
 と、笑うのである。
『ふた目と見られないはひどいね。それほどでもないのだろう』
『ほんとだ。暑中休暇には帰ってくるから、見なせえ』
 こんな訳であった。森山さんの風貌から察すれば、仲造の言った形容は全然言い過ぎでもないかも知れないが、写真から想像したところでは仲造の話は大袈裟《おおげさ》すぎる。それは何《いず》れしても教育はあるし家柄はよし、人によっては却《かえ》ってこの方を好むものだ、などと贔屓《ひいき》の考えもしてみた。
 その日も、なかなかよく鯛が釣れた。
『旦那は、このごろえらく釣りが上手《じょうず》になったね。俺は、旦那と一緒に沖へ出るのが楽しみだ』
『うまいことを言うね――お前の教え方が上手なんだろう』
『えへへ』
『おぼんには、何を送ってよこそうな』
『えへへ』
 私が大きな魚籠《びく》に入れた鯛をさげて帰京する時、森山さんは駅まで送ってきて、
『では、何分お心がけおき願いとうございます』
 と、言うのであった。

     四

 私は汽車のなかで、何かのきっかけに思い出したのは、山岡という友人であった。
 山岡は、親友というほどでもないが、若い時からの知り合いで、仕事の上の取引もあるし、折りによっては酒もつき合うし、身の上話もする仲である。二、三年前に子供二人を残されて美しい妻君を失った。その後、男やもめで寂しく暮らしている。もう五十歳を一つ二つ過ぎて、子供は大きい娘が今年女学校を卒業し、弟の方は中学三年になっているのであるから、別段不自由というほどのこともないのだが、何だか物足らぬ、といったようなことをいつぞや会ったとき聞いたことがあった。ふと、私はそれを思い出したのである。
 正直なことをいうと、山岡も稀に見る醜男《ぶおとこ》の方なのである。上背は四尺六、七寸、肩幅が広くてずんぐりしている。丸い顔に、丸い頭を玉石のようにいが栗にして、いつも元気がいい。性質は風采《ふうさい》にも似ず明るい方で、世間から人気があるのだ。
 そして、彼の友人たちは、彼が醜男にも拘わらず上背の高い美しい妻君を持っているのを、日ごろ羨ましがった。それが、二、三年前ぽっくり死んだのである。
 私は、東京へ帰ると二、三日後、山岡を飯食いに誘い出して、
『不自由もあるまいが、独り者というのは兎角《とかく》その不自由勝ちのもので――』と、水を向けてみた。
『大したこともないよ――だがね、この頃は夕飯を出先で食うことにしているんだ。家へ帰ったら直ぐ床の中へもぐり込めばいいんだ』
『それでは、子供達が寂しかろうがな』
『あいつらも馴れたよ』
『それでは、子供の教育にならん。一人しかない親だもの、夕飯どきには必ず帰っていないと可哀想だ』
『それもそうだな』
 と、山岡は微笑した。そこで私は、
『ところでどうだ――茶飲み友達というのは欲しくはないのかい』
『僕はまだ老いぼれじゃないのだよ、茶飲み友達は惨酷だね。だがね、格好なのがあれば、邪魔にもならないだろうし、子供達も家の中が賑やかになるのを喜ぶかも知れない。何か、似合いの候補者でもあるのか』
 と、山岡は朗らかに言うのである。
『ある』
『からかうな』
『からかうのじゃないよ。若いし、教育はあるし、家柄はよしさ』
『正体はなんだ』
『物持ちの娘だ』
『歳はいくつになる』
『掛値なしの三十四歳だ。僕が、独身ならばと内心思っているのだけれど――』
『いやに煽動的だね。だが、僕の方が少し歳が行き過ぎている――』
 山岡はこう身を引いて出たが、何となくこの話に気心が進むように見えた。
 そこで私は、房州の森山家の豪勢な話や本人の身柄のことについて詳しく物語った。山岡は、私の話をふんふんと聞いていたが、最後に、
『ひどく、ぐあいがよさそうじゃないか。一つ、小当たりに当たってみて貰
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