じながら博士は、次に重箱を移すと、下の箱には、蜂の子の佃煮が入っていた。これは、私の子供の時からの好物である。と、言って箸につまむのを見て、蜂の子を食べるのにザザ虫を食えんちゅう法はない。という博士の意見である。そこで、私は決心した。一匹のザザ虫を口へ放り込み、眼をつむって奥歯で一噛み噛みしめた。
 別段、異ようの味もせぬ。ただ塩からいだけだ。川百足も、瀬虫も、ザザ虫と同じようなものだ。おいしくも、なんともない。これよりは、安佃煮の沙魚《はぜ》の方がおいしいようだ。一体信州という国は、山国で海の方から味のいい魚がこないために、昔から川の虫まで酒の肴にして、それを佳饌《かせん》としたのであろうが、他においしいものがなかったから、こんなものでも珍重するに至ったのであろう。と、私が半畳《はんじょう》を入れるのに対して、博士はあるいはそうかも知れん、と、あっさり答えて、盃を干すのであった。
 昔から、信州人は悪食《あくじき》を好むときいてきた。信州国境の方では、青大将の釜蒸し。蟇の刺身。なめくじの酢のもの。鼠の裸兒の餡かけ。蜂の親を、活きているまま食うこと。いろいろと伝えきいてはきたけれど、川
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