へ帰ってきた。そして、母に釣ったはやを焼いて貰って、夕飯のとき食べた。
それは、遠い昔の想い出である。
それから私は、少し大きくなってから、蝗《いなご》を餌にして、長い竿でぶっ込み釣りで、秋のはやを釣ることを習った。ある夕、一尺前後のはやを十尾以上も釣って、雀躍《こおど》りしたのを記憶している。いまでも釣りするたびに、子供のときのような心になって、喜びたいとねがうのである。
川虫も、山女魚やはやを釣るには、なくてはならぬ餌である。川虫には、平《ひら》たい草鞋《わらじ》のような形をしたのもあれば、百足《むかで》のような姿をしたのもある。また挟み虫のようで、黄色いのもある。これは、いずれもかげろう[#「かげろう」に傍点]の幼虫であろう。
なかでも、挟み虫のような形で、黄色い川虫を山女魚やはや[#「はや」に傍点]が好むようである。わが故郷では、これをチョロ虫と呼んでいる。
昨年の春であったか、信州の諏訪に住んでいる正木不如丘博士に会ったとき、釣りの話のことから、このチョロ虫の身の上談に及んだことがある。博士がいうに、その虫ならば自分のくにの川にも、いくらも棲んでいる。そして、それを
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