ザザ虫の佃煮
佐藤垢石

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)蠅《はえ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)川|百足《むかで》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)はや[#「はや」に傍点]
−−

 秋の蠅《はえ》も、私には想い出の深い餌である。私の少年のころのある期間、父は忙しいので私の釣りの相談相手になれなかったことがある。私は、一人で竿から仕掛け、餌のことまで、才覚思案した。
 上州へは、秋が殊のほか早く訪れるのが慣わしである。九月上旬になると、赤城と榛名の峡から遠く望む谷川岳や、茂倉岳の方に、黒い雲が立ちふさがって、冷たい風を麓の方へ送ってきた。日中は暑いけれど朝夕は、利根川の流れに風波が立って、もう寂しい秋がきたことを想わせる。
 私は、小学校から帰ってくると、縁側を弱い羽で飛んでいる秋蠅を捕った。これを餌に持って利根川へ行った。辺地《へち》に近い石かげへ、短い竿で蠅をさした鈎を投げ込んだ。すぐ当たりがあった。小さいはや[#「はや」に傍点]が、いくつも釣れた。黄色く色づいた稲の畔を走って、夕暮れの田んぼを家へ帰ってきた。そして、母に釣ったはやを焼いて貰って、夕飯のとき食べた。
 それは、遠い昔の想い出である。
 それから私は、少し大きくなってから、蝗《いなご》を餌にして、長い竿でぶっ込み釣りで、秋のはやを釣ることを習った。ある夕、一尺前後のはやを十尾以上も釣って、雀躍《こおど》りしたのを記憶している。いまでも釣りするたびに、子供のときのような心になって、喜びたいとねがうのである。
 川虫も、山女魚やはやを釣るには、なくてはならぬ餌である。川虫には、平《ひら》たい草鞋《わらじ》のような形をしたのもあれば、百足《むかで》のような姿をしたのもある。また挟み虫のようで、黄色いのもある。これは、いずれもかげろう[#「かげろう」に傍点]の幼虫であろう。
 なかでも、挟み虫のような形で、黄色い川虫を山女魚やはや[#「はや」に傍点]が好むようである。わが故郷では、これをチョロ虫と呼んでいる。
 昨年の春であったか、信州の諏訪に住んでいる正木不如丘博士に会ったとき、釣りの話のことから、このチョロ虫の身の上談に及んだことがある。博士がいうに、その虫ならば自分のくにの川にも、いくらも棲んでいる。そして、それを
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング