と共に蚕蓆を洗いに行った。初夏とはいえど水源である上越国境の大水上山の雪を解かして流れくる水温は、摂氏の十度前後と思わんばかりに低い。水際に浸ってものの五分もたたぬうちに、姉の白い脛は冷烈の水に刺されて、紅に彩った。
夏がくれば、私は魚籠《びく》をさげて父のあとから、ひょこひょこ歩き、投網打ちに行った。筌《うけ》をかけにも行った。釣りにも行った。五歳の折りの想い出、十歳のとき、十五歳のとき、二十歳のとき、三十歳のとき、四十歳のとき、わが生涯の歴史は、綿々として絵巻物のように、上新田の地先の利根の流れの面に、絶え間なく幻影を描きだす。
私は、遠く山々を望んだとき、利根の水際に佇んだとき、ほんとうに童心に返る。全く人間の五欲を忘れてしまう。
それは、私ばかりではあるまい。誰でも、愉しき過去、悲しき過去には、山と水の俤が夢に残る。人は、その想い出にわれを忘れる。つまり、童心に返るのだ。私は、市川猿之助の舞踊劇『黒塚』に心酔して、これを三、四回観たのであるが、那智から巡りきた行脚の僧の看経の功徳により、安達ヶ原の鬼女は悪夢から覚めたように過ぎし罪業を離脱し、ゆくりなくも童心に返って丸い大きな月が遍《あまね》く照らす芒野にさまよいいで、幼きころ都にて習いおぼえし月の歌の踊り。われを忘れて口ずさみつつ茜草踏んで踊る場面は、観る私もうっとりとして、われを忘れてしまった。
底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日第1刷発行
※<>で示された編集部注は除きました。
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
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