で友人と二人で酒を酌んだ。そして、この老女将を座敷へ招じた。老妓、おきよもきた。
二人が、口を揃えて言う。
そうですか、あれがみやこ鳥だったんですか。存ぜぬこととは言いながら――そうでしたか。私ら子供の時から、この辺ではただ、かもめとばかり呼んでいました。それが、みやこ鳥とは、ほんとうに嬉しい話を聞くものでした。私らが知らないくらいですから、神田川の岸の船宿の船頭や、柳橋の芸妓など誰も、わが土地にみやこ鳥がいようとは、思っていないでしょう。
と、嘘ではないかとばかり、驚いた風であった。老女将は、さらに、
この鳥は、幾十年となく秋の終わりの寒い頃になると、私方の石垣の下へきて遊んでいる。江戸前の海が荒れてでもいるかと思えるような風の強い日には、殊に群れの数が多い。そして終日どこへも行かないで、水上署の交番とこの石垣がはさんだ水の上に遊んでいる。夜は沖へ帰って行くこともあるけれど、大抵は私のところの母屋の屋根の甍《いらか》に幾つか頭を並べて眠るのである。
私らは吾妻橋から上手の隅田川にばかりみやこ鳥がいて、大川にはいないものと思ってきた。それに、近年言問あたりにも、みやこ鳥の姿が見えなくなったという話を聞いて、淋しく思っていたのであるが、我が家の前にもみやこ鳥がいるとは、懐かしい。
このほど、この屋根に一羽のかもめが死んでいた。では、改めて前の石垣の傍らに『みやこ鳥の塚』でも建ててやりましょうか――。
あら、昔とった杵柄《きねづか》に、都鳥の一曲ですって、冗談じゃありませんよ。こんなお婆ちゃんの声、面白くもない。
老女将と老妓とは、朗らかに笑うのであった。
もう、ゆりかもめの季節が去った晩春の夜の大川は、上げ潮どきの小波をひたひたと石垣に寄せ、なごやかに更けてゆくのであった。[#地付き](十三・五・六)
底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
1953(昭和28)年10月発行
※<>で示された編集部注は除きました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボラン
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